団体総括(テーマ別)

4.心理学的な視点に基づく、麻原・弟子・現代社会の人格分析

『心理学的な視点に基づく、麻原・弟子・現代社会の人格分析』 目次


【1】オウム問題の解決のために必要な、麻原の人格分析

    オウム問題の解決のために必要な、麻原の人格分析
    「空想虚言症」と「誇大自己症候群」

【2】「空想虚言症」に基づく、麻原の人格分析
    「救世主」とさえ崇められる空想虚言症型のカリスマの実例
    麻原の説いた「演技の修行」と「空想虚言症」の関連
    いわゆる「グルイズム人格」という仮説

【3】「誇大自己症候群」に基づく、麻原の人格分析
    「誇大自己症候群」に基づく、麻原の人格分析
    「誇大自己症候群」とは何か?
    麻原の「誇大自己症候群」の可能性について
    麻原の生い立ちは、「誇大自己症候群」を発症する条件に当てはまる

【4】「誇大自己症候群」の特質と麻原の言動の比較検討
    1 「万能感」という誇大妄想
      2 自己顕示欲
      3 「自分こそが世界の中心である」という誇大妄想
      4 「他者に対する共感性」の未発達、喪失
      5 権威への反抗と服従
      6 強い支配欲求
      7 罪悪感・自己反省の乏しさ、責任転嫁と自己正当化
      8 現実よりもファンタジー(幻想)や操作可能な環境に親しむ
      9 被害妄想
      10 目先の利益や快楽のために他人に害を与えても平気――規範意識の欠如
       11 内に秘める攻撃性

【5】麻原の妄想的な信仰と「誇大自己症候群」
      麻原の妄想的な信仰を「誇大自己症候群」の一部として理解する
      現実の先輩修行者たちには、反発・反抗し続ける
      「妄想的な予言」に見られる麻原の誇大妄想と被害妄想
      時代全体にあった(妄想的な)予言の流行

【6】弟子たち・信者の人格分析
    弟子たち・信者の人格分析
    「自己愛型社会」という視点から、弟子たちの人格を分析する

【7】ひかりの輪の教え・方針
      ひかりの輪の教え・方針
        ――「誇大自己」や「理想化された親のイマーゴ」を越えるために
      現代の「自己愛型社会」に対する今後の奉仕について

【8】付録
1 「自己愛」と「影」の関係
2「現代人の宗教性」――河合隼雄氏の視点
3 参考書籍からの抜粋 高山文彦『麻原彰晃の誕生』(文藝春秋、2006)

【1】オウム問題の解決のために必要な、麻原の人格分析

■オウム問題の解決のために必要な、麻原の人格分析

 さて、以下では、心理学における「人格障害」という概念に基づいて、麻原の人格を分析してみたいと思います。その前に、以下の三点について、誤解がないようにしておきたいと思います。

 第一に、人格障害とは、語感は悪いですが、精神病とは異なり、社会生活を普通に送ることができます。そして、人格障害の特徴を見るならば、それは、いかなる人間も、程度の差こそあれ有しているものであり、人格障害の「特徴が強い」と言うことができる人はいても、人格障害の人とそうでない人を明確に二分することは難しいと思います。

 第二に、さまざまな人格障害のタイプの中には、相当な才能・能力・エネルギーを有しており、中には、麻原のようにカリスマ的な人もおり、仮にそれが善い方向に生かされるならば、大きな業績を残す場合もあります。しかし、それが他の迷惑になる方向に使われる場合が多々あるということです。

 第三に、私たちの真意は、誰かに「人格障害」のレッテルを貼ることではなく、オウム真理教の事件の原因を解明して、オウム問題を解決し、それを二度と繰り返さないようにするために、「麻原とは、いったいどういった人物だったのか」を科学的に分析することが必要不可欠である、ということにあります。

 例えば、信者や元信者の中には、麻原の起こした一連の事件の悲惨さ・残忍さをひどく嫌悪しつつも、自分自身は、麻原の超人的と思える面を感じたり、自分個人は非常によく面倒を見てもらったなどの経験があり、その二つの「矛盾」の中で葛藤し、麻原がいったいどういった人間なのかがわからず、その意味で、「呪縛」から十分には解放されていない人たちが存在すると思います。

 私たちの公式HPにも、時折そういった人たちから、「どうしたら心の整理をつけることができるかわからない」として、問い合わせ・相談が来ます。オウム・アーレフ教団の内部だけではなく、脱会して今一人で生きているような人たちでさえも、そういう人がいます。

 その人たちが、「呪縛」から解き放たれるためには、まず、第一に、麻原・オウム真理教の「実態」を正確に知ることが必要です。しかし、それは、たいていの場合、一連の事件の実態だけでは不足です。

 というのは、彼ら自身は一連の事件の被害者ではなく、被害者や一般の方々が体験したのとは、まったく違ったとも思える「宗教家」としての麻原を経験していますから、その呪縛を解くためには、麻原とオウム教団の「宗教性・霊的能力・教義・修行」に関する、過ち、偏り、裏表、誇大宣伝などを理解する必要があります。

 そして、この点については、主に、①ひかりの輪が先日発表した「団体総括文書」、②「上祐代表の個人総括」や「アーレフ信者へのメッセージ」などによって、ある程度は明らかにできたのではないか、と考えています。

 しかし、これでもなお不十分である場合も見られます。というのは、確かに宗教的にさまざまな過ち・嘘・誇大宣伝があったとしても、それだけで国内外に数万人の信者を獲得する教祖になれるならば、誰にでもできるわけであり、実際に、一定の「知的・精神的・霊的な能力」「カリスマ性」がなければ、そうはできないことは、否定できないものです。

 また、教団の書籍や他人から聞いた話は、「嘘だった」と思えば済みますが、信者・元信者が、実際に麻原から自分自身が「直接に」体験したことを乗り越えることはできません。

 そこで役立つのが、「人格障害」の概念であると私たちは考えています。人格障害の中には、先ほど述べたように、さまざまな大きな問題を有しつつも、同時に相当な「知的能力」や「カリスマ性」を併せ持つケースがあります。

 そこで、人格障害に関する広範な事例の分析に基づいた科学的な研究による智恵に基づき、麻原の示したさまざまな人格・欠点・才能・能力を総合的に分析して、誰もが納得がいくように、麻原を総括することができる可能性があるのです。

 言い換えれば、先ほど述べたように、呪縛された信者・元信者は、麻原の示した大きな「問題」と、自分たちが経験した「長所」といった「多面性」のために、麻原を総括できない状態であり、一つの概念の元に、麻原を総括できれば、「呪縛」を脱することができるわけです。

 さて、私たちの研究の中では、麻原の人格・欠点・能力を科学的に理解するには、心理学の人格障害の中で、「誇大自己」「空想虚言」といった概念に照らし合わせてみることが有効ではないか、という結論を得ました。よって、以下に、それに基づいた報告をします。

■「空想虚言症」と「誇大自己症候群」

 まず、「空想虚言症」とは何かについて述べてみます。心理学の専門家の中には、麻原について、この空想虚言症を呈する人格障害者=「空想虚言者」とする専門家がいます。なお、この空想虚言症は、後で述べる「誇大自己症候群」という横断的概念とオーバーラップするものです。

◎「空想虚言症」の特徴
 
1空想力が異常に旺盛で、空想を現実より優先してしまう。
2一見才能があり、博学で、地理・歴史・詩歌・技術・医学など何くれとなく通暁しており、話題が豊富であるが、よく調べてみると、その知識は読書や他人の話からの断片の寄せ集めであることがわかる。
3弁別がよどみなく、当意即妙の応答が巧みである。
4好んで難しい外来語やこけおどしの言葉を並べ立てる。
5人の心に取り入り、それを操り、関心を惹くのがうまい。
6自己中心の空想に陶酔し、他人の批判を許さない。
7万能感と支配幻想
8責任転嫁
9実利的な利益の重視
こういった特徴を持つきわめて空想的な彼らは、巧みな作り話で人を魅了するが、作り話の嘘を語っているうちに、当の本人もそれを事実であるかのように思い込んでしまいがちとなる。
 そして、うぬぼれと支配欲に駆られるあまり、空想的地位や役割を演じようと熱中したあげくに、思ったことが事実でないことを忘れて、その実現に駆り立てられてしまうこともたびたびある。

(武野俊弥『嘘を生きる人 妄想を生きる人』新曜社、2005)
要するに、嘘と真実、空想と現実の区別がつかなくなってしまうのです。空想された架空の立場、役割に心からなり切って行動します。

◎「誇大自己症候群」の特徴

① 「万能感」という誇大妄想
2自己顕示欲
3「自分こそが世界の中心である」という誇大妄想
4他者に対する共感性の未発達、喪失
5権威への反抗と服従
6強い支配欲求
7罪悪感・自己反省の乏しさ、責任転嫁と自己正当化
8現実よりもファンタジー(幻想)や操作可能な環境に親しむ
9被害妄想
10目先の利益や快楽のために他人に害を与えても平気である。規範意識の欠如。
11内に秘める攻撃性
12誇大自己のエネルギーは、偉人を生む力ともなる(常識人がもたないエネルギーや発想を秘めていることもあり、うまく生かせば、大きな力とすることもできる)。

参考(岡田尊司『誇大自己症候群』筑摩書房、2005)

【2】「空想虚言症」に基づく、麻原の人格分析

■「救世主」とさえ崇められる空想虚言症型のカリスマの実例

 上記のように、空想虚言症や誇大自己症候群といった人格障害の人は、必ずしも、能力が低いのではなく、一面において、非常に高い才能・能力を有しており、そのため、その中には、時には「カリスマ性」を発揮する人がいます。

 その意味では、一般論として、宗教家や芸術家など、現実世界を越えた(離れた)特異な才能が必要とされる人たちの中には、この傾向を有している人がいるとも言うことができます。それが、現実社会の枠組みの中に収まれば、「特異な天才」となる場合もあり、逸脱すれば、「犯罪者・破綻者」になり、その意味では、程度問題ですが、それは、先ほど述べたように、人格障害とは、その障害者と非障害者を二分できない概念だからです。

 さて、以上を前提として、ここで、麻原以外に、人々に「救世主」のように崇められるカリスマ的な「空想虚言者」の実例を紹介したいと思います。それは、「シャルラタン」という16世紀以降のヨーロッパに現れたニセ医者や山師・ペテン師の一人についての話です。
 シャルラタンとは、十六世紀以降のヨーロッパ各地で、日本のガマの油売りのように、祭りの場や市で、さらには公道や広場で、台の上に乗ったり、あるいは地面に立ったり馬にまたがったまま、巧みな口上と面白おかしいパフォーマンスで人を集め、種々のいかがわしい薬を売りつけ、ときには抜歯やヘルニアの治療までおこなっていた、正当な医薬免状をもたない医者もどき・薬屋もどきのことをいう。

客寄せのための大掛かりな舞台まで設け、寸劇・笑劇を演じたのち、満場の客に言葉巧みに怪しげな薬を大量に売りさばき、あるいは舞台の上でいかさま治療を施し、その化けの皮がはがれるまえに新たな祭りの場を求めてさっさと行方をくらます手合いも多かったようである。

(武野俊弥『嘘を生きる人 妄想を生きる人』新曜社、2005)
 このようなシャルラタンの中でも「大シャルラタン」と言われる、フランス革命直前のフランスに現れた「カリオストロ」という人物がいます。
 
 スペインの爵位は持つものの、アラビアで育ち、本場アラビアの医術に通暁しているという触れ込みで、「カリオストロ伯爵」なる謎の人物が突如フランスに現れて、社交界を疾風のように席捲したのち、こつぜんと姿をくらましました。

 1780年のストラスブールから1785年のパリに至るまでのわずか5年間に、カリオストロは、「フリーメーソンの陰の大立者」「奇跡医」「錬金術師」「予言者」「天啓主義者」として、たちまちヨーロッパ第一級の知識人たちの注目を集めて、彼らを魅了したばかりか、熱狂に駆り立てました。また、奇跡医としてのカリオストロに対する一般大衆の崇拝と熱狂ぶりはとりわけすさまじいものがありました。

 カリオストロは、オペラの舞台からそのまま降りたってきたかのように異様に派手で華やかな医者として登場しました。見かけの派手さとは裏腹に、貧者の無償治療に明け暮れ、彼らの救済者となりました。

 しかし、その後、彼は、紆余曲折はありますが、ついに正体が明かされ、最終的に牢獄に投獄され、終身刑となって獄死しました。彼の正体は、イタリアのシチリア生まれで、本名ジュゼッペ・バッルサモという変装・虚言・身分詐称の常習犯であり、窃盗、詐欺、文書偽造、紙幣贋造の悪事を繰り返し、社会の最下層をうろついていたゴロツキだったことが判明したのでした。

彼は1743年、シチリア島パレルモの貧しいリボン商人の家に生まれました。幼くして父を失ったバッルサモは近くのファテベネフラテッリ治療会の修道院に預けられ、そこでどうやら医学と薬学の手ほどきを受け、さらには化学と錬金術の知識も身につけたようです。しかしあまりの素行の悪さに15歳で追放されてしまい、バレルモに戻ったバッルサモはさっそく街の不良どもの頭目となりました。20歳のとき大きな詐欺事件の首謀者として警察に追われる身となった彼は故郷のシチリアを離れ、流浪の旅を続けながら山師としての腕を磨くことになりました。

1768年、ローマで出合った14歳の美少女ロレンツァ・セラフィーナ・フェリツィアーニに一目ぼれしてすぐさま結婚した彼は、この魅惑的な若妻を使って美人局を使って荒稼ぎするようになります。またもともと画才に恵まれていたバッルサモは、銀行の信用状や商人の為替手形や軍隊の辞令などを偽造するという詐欺の手口に芸術的な冴えを示すようになったということです。

 こうした経歴の中に、チコリやレタスその他の野草の粉末を混ぜた物にすぎない「カリオストロ伯の精気回復剤」なる精力倍増をうたった「秘薬」でぼろ儲けしたということもある、ということです。「薬でぼろ儲け」した点などは、麻原の薬事法事件とも似て興味深いものです。


■麻原の説いた「演技の修行」と「空想虚言症」の関連

 さて、この空想虚言症に関連することとして、麻原が、弟子たちに説いていた「演技の修行」というものがあります。

 それは、自分が、解脱・悟りを達成していないのに、あたかも達成した者であるかのように「演技」する修行です。麻原は「演じているうちに、それが本物になる」と説いていました。これは、ある意味で、「空想虚言症」を意図的に実践するということにもなります。

 そして、最も重要なことに、この教えを説いた麻原自身が、今から思えば、「最終解脱者を演じていた可能性」がないかということです。

 この点に関連したこととして、オウム神仙の会当時の状況を、ジャーナリストである一般の方が、当時の内弟子などから取材して書いた『麻原彰晃の誕生』(高山文彦著、文藝春秋、2006)という書籍によれば、「麻原の最終解脱とは、その内容や時期について相当にあいまいなものではないか」という問題があるのです。

 その中で、一部の内弟子は、当時の麻原が「解脱できない」と言って悩んでいた直後に、「解脱した」と主張し始めたり、最終解脱の内容を問われても、明確な回答ができなかったことや、高弟の石井久子に、自分が解脱したことの同意を求めるなどの場面が書かれ、周りの弟子の一部が、それを疑っていた様子が書かれています。
「最終解脱――空中浮揚につづくこの言葉は、どれほど弟子たちのこころをわしづかみにしたことか。
彼らは道場のなかで、最終解脱とはどんなものなのだろうかと話し合った。自室から智津夫が出てきたとき、弟子のひとりが代表してそのことを問うと、「うーん」と唸ったまま、ひと口にはむずかしいというような顔で言いよどんでいる。
「どんな色が見えるんですか。どんな世界なんですか」
たたみかけてくる弟子になんとかこたえようとするのだが、逆に弟子たちに細かく問い返されて、詰まってしまう。困り果てた顔でかたわらの石井久子をふり返ると、何を思ったのか、同意を求めるようにこうたずねたのだ。
「なぁ、私は最終解脱したんだよな」
それまでのざわめきは消え、弟子たちは白けたように黙ってしまった。
最終解脱を果たしたという直後の丹沢のセミナーでも、山荘の一階の小部屋で何人かの古手の弟子たちと雑談しているとき、
「なかなか解脱できない。最終解脱するにはどうしたらいいんだろう」
と智津夫は臆面もなくぼやいてしまうありさまだった。
2階の大広間では、説法を聞くために弟子たちが待っている。智津夫はようやく階段をのぼってゆき、弟子たちのまえに立った。
「いま私は解脱しました。みなさんも努力すれば解脱できる」
小部屋で話を聞いていた弟子のひとりは、耳を疑った。」

(高山文彦『麻原彰晃の誕生』(文藝春秋、2006、p.142)
 これは、信者ならずとも元信者にとっても非常に重要でしょうから、上祐代表らのひかりの輪のメンバーが直接体験した事実と照らし合わせて、事の真偽を丹念に検証してみようと思います。

 まず、別の機会にも、最終解脱の状態を問われて、麻原が困惑したことがあります。それは、91年の雑誌記者(週刊誌『SPA!』)の取材の時でした。

 その時、麻原は、「最終解脱の瞬間」の状態について、初めてある程度具体的に語りました。それまでは、最終解脱の瞬間の体験については、書籍にも、説法にも、具体的には書かれていませんが、よく考えると、これは不思議なことでした。

 麻原は、最終解脱の体験を語ると、担当の記者の方が、ごく素朴な質問として、「なぜそれが『最終解脱』なんですか?」と聞いたのです。それに対して、麻原は、「だって、その時、自分の周りに神々が現れて大変な祝福をしてくれたんですよ」という主旨の答えをしました。

 それに対して、記者の方は、それ以上の反論・疑問は呈さなかったものの、わかったような、わからないような感じでした。麻原の最終解脱を信じ込んでいる信者と違って、ある意味で冷静だった外部の記者から見れば、それが「最終解脱」の確かな根拠になるとは感じられなかったでしょう。

 神々の祝福のヴィジョンを見ても、それは、麻原個人の内的な一過性の体験にすぎませんし、似たような神々のヴィジョンを見るだけならば、世の中には、他にもそういったヴィジョンを見る人は、少なからずいるでしょう。

 これと関連する事実として、麻原自身が、後の説法において、「最終解脱の上に、自分がまだ経験していない最終完全解脱がある」と語った事実があります。すなわち、麻原の教義でも、最終解脱とは、最終の解脱、これ以上ない解脱という意味ではなく、しかも、その上の「最終完全解脱」は、麻原自身が体験していない状態ですから、厳しく言えば、「その実在が確認されていない」概念です。

 このことから、「麻原は、最終解脱の状態や、本当の意味での最終の解脱の状態については、自分でも不確かだったのではないか」と推察されるのではないでしょうか。

 さらに、「最終解脱の時期があいまいである」という事実があります。

 オウムでは、麻原の最終解脱は、1986年に「ヒマラヤ」で達成した、ということになっています。しかし、上祐代表らの高弟には、麻原は、「それはヒマラヤで最終解脱したことにしておいた方が、イメージがいいからで、最終解脱なんかは、その前にしていた」といった主旨のことを語ったことがあります。こうして、最終解脱の時期自体が「あやふや」なのです。

 公の最終解脱の時期である1986年のヒマラヤの修行では、麻原はパイロットババ師に師事していましたが、同師は、麻原が最終解脱したことは「否定」しています。団体総括で詳しく述べましたが、師は、麻原の修行が途中までで終わり、自分と約束した40日の修行期間の半ばで麻原が戻ってしまったことを残念がっています。

 なお、師は、その時の麻原が、師に対して、「(修行の結果)愛の心が大きくなった」などの体験を語ったとも述べていますが、それは、師から見れば最終解脱ではなかったのです。そして、その後、麻原は、パイロットババ師と決裂することになります(その経緯は団体総括に詳しい)。

 また、パイロットババ師以外に、麻原が最終解脱を自称する前に、日本人のヨーガ修行者として、高く評価した人の中で、雨宮氏という人物がいます。
麻原の雑誌記事によると、雨宮氏は、「麻原の体験と自分の体験が非常によく似ていると知って麻原に接触し、自ら最終解脱したとして麻原と最終解脱について語った」とされています。すなわち、当時に限っては、雨宮氏は、麻原の最終解脱の先輩格であるように位置付けられていました。

 ところが、私たちが直接接触した当時の内弟子によると、麻原が最終解脱を主張し始めた直後に、雨宮氏は、麻原に電話をして、それを厳しく戒め、「そんな主張をして教祖になるならば破滅に至る」という主旨の警告をしたそうです。雨宮氏から見ると、麻原が最終解脱したようには感じなかったのでしょう。

 こうして、麻原の「最終解脱」とは、

① 外部の権威などの第三者による認定を得たものではなく、まったくの「自己認定」であり、
② 自分自身でも「本当の意味での」最終の解脱とはしておらず、
③ 「公称の時期」は本当の最終解脱の時ではない、

といった、いろいろなあいまいさがあることがわかります。

実際に、何の伝統宗派にも属さず、「我流」の修行を行った彼は、何が最終解脱の状態であるかという定義自体が不明確だった、と推察されます。

 こうして、さまざまなあいまいさがあることを考えると、麻原が、86年から最終解脱を「自称」したことは、明確な揺るぎない根拠に基づくものではなく、ある意味で、「今の状態をもって、最終解脱としよう」といったものではなかったか、と推察されます。

 その意味で、麻原の「最終解脱宣言」は、麻原の最終解脱の「演技の始まり」だった、とも言うことができるのではないでしょうか。その意味で、彼は、その後、「最終解脱者を演技」していったのではないか、と思います。

 そして、上記のカリオストロの例を見ると、空想虚言者の性質として、「救世主になりきってしまう」ということがあることがわかります。そして、麻原の場合も、ある意味で、そうだったのではないか、と推察できます。

 もちろん、麻原が、あれだけの信者を集める中で、一定の霊的な能力を持ち、さまざまな瞑想体験をしたことは事実だったと思います。しかし、ある面で常人を超える力を持ち、信者にとっては慈悲深く「見えた」のは、カリオストロも同様でした。ここでのポイントは、最終の解脱という、人間としてこの上なき状態というイメージを与える状態に、「至った」のかどうかという問題です。

 こう考えれば、さまざまな残忍な事件とは相容れない麻原の姿を体験したがゆえに、彼をどうとらえてよいかわからない信者や元信者の方々は、麻原の能力と人格を、「空想虚言症」の特徴として、理解することができるのではないか、と思います。


■いわゆる「グルイズム人格」という仮説

 私たちのこれまでのいろいろな経験によると、いわゆる「グル」と呼ばれる人の中には、その信者にとっては、非常に高い霊的・知的能力をもちながら、はたから見ると、特異な人格を有している人が、非常に多くいるように思います。

 そして、時には、その人格の「不可思議さ」自体が、凡庸な才能しか持ち合わせていない人間にとっては、カリスマ性を感じさせる一因ともなります。「自分にはうかがい知れない境地ではないだろうか」と思うわけです。

 実際に、客観的には自滅的に思える、麻原の一連の犯罪行為による破綻の経緯や、その後の裁判での不規則発言についても、それが、常人から見るとあまりにおかしいことであるがゆえに、いまだに彼を信奉している信者たちにとっては、逆にそれが、「何か深いお考えがあってのことではないか」と考える原因となっています。
 
 しかし、これまでの経験を総合すると、そうした人の特異な能力と人格は、その人が唯一無二の完全者に通じた神の化身であるからではなくて、数は多くはないが、人間の中には、そういった特異な能力・人格を有するタイプの人がいるのだ、と解釈すべきではないか、と思います。

 そして、こういった人を神格化しないために、仮説・仮名としてですが、「グル人格」と呼ぶのはどうか、と思います。

【3】「誇大自己症候群」に基づく、麻原の人格分析

「誇大自己症候群」に基づく、麻原の人格分析

 さて、次に、「誇大自己症候群」に基づく、麻原の人格分析を行いたいと思います。その前に、この概念は、上記の「空想虚言症」とオーバーラップする部分が多々あることをお断りしておきます。

 その前に、心理学者によれば、麻原の人格については、「反社会性人格障害」「自己愛性人格障害」「妄想性人格障害」など、複数のものが言われましたが、これらの障害については、麻原に、適合する部分とそうでない部分があり、妥当だというものがありません。

 一方、犯罪を犯した多くの青少年を診ている精神科医の岡田氏は、犯罪を犯した青少年に共通する心性を「誇大自己症候群」と呼んで、それはまた、犯罪を犯していない多くの青少年、それのみならず多くの大人にもその特性は見られ、現代社会を「自己愛型社会」と定義しています。

 実際に、現代の日本社会において、かつてでは理解し難い「青少年の犯罪」が目立ってきています。そして、犯罪を起こす青少年とそうでない青少年との間に、質的に異ならない精神構造があることの指摘も多くなっています。

 繰り返しますが、この「人格障害」とは、精神病ではなく、程度の差こそあれ、(少なくとも現代人の)誰もが有している要素であり、「健常者」と「異常者」の間に完全な境界はないというものです。

 そして、現代日本を「自己愛社会」と初めて称したのは、精神分析医の小此木啓吾氏です。1981年に『自己愛人間』(朝日出版社)という書籍を出しています。その中で、「自己愛人間は、誇大自己を肥大させること」について記しています。

 この「誇大自己症候群」は、「反社会性人格障害」「自己愛性人格障害」「妄想性人格障害」「境界性人格障害」という縦割りのカテゴリー分けでなく、それらの人格障害の基底に横たわる「横断的な特性」として論じられています。
また、上記の人格障害以外に、「アスペルガー障害」「解離性障害」などともオーバーラップするものであるということです。

 そして、私たちの研究では、麻原やその弟子、ひいては現代社会全体に広がる人格上の問題を分析するにあたり、「誇大自己症候群」という概念を使用することが有効ではないか、と思われましたので、以下に取り上げたいと思います。


■「誇大自己症候群」とは何か?

 子どもの成長プロセスにおいて、「自己誇大視」する時期はあるもので、それ自体異常なものではありません。

 まず、「誇大自己」とは、自分を神のように万能だと思い、母親らによって、すべての願望が満たされるのを当然のごとく期待する心のありようです。幼い子どものころは、その子どもの立場から見れば、母親らが、自分の願望を何でもかなえてくれるかのように見えます。

 その世界の中では、子どもは、自分が「世界の中心」であり、多くの人間の中に一人として、他人に配慮して、自分の欲求を慎んだりするといった必要はなく、その意味で、自分が「絶対者」であるかのような位置付けを持っています。

 よって、「誇大自己」は、決して異常なことではなく、逆に、通常の親子関係においては、一人では生きて生きようのない子どもに対して、親がさまざまな面において愛情をもって奉仕する中で、自然と生じてくる意識状態であり、幼い子どもにとっては、健全な一つの発達段階です。

 そして、それが適切な時期に適度に満たされつつ、子どもの自立の過程において、適切な時期に適度に満たされなくなっていき、子ども側から見れば、ほどよく断念させられることによって、より、「現実的な」自尊心や自信に姿を変えていきます。

 最初は、「世界の中心」であるかのように思えた自分自身が、現実には、多くの人間の一人であることを受け入れて、その中で、「現実的に」自分の自尊心・自信・存在価値を見いだして生きていくのです。

 しかし、このプロセスがうまくいかない場合があるのです。

 すなわち、誇大自己が、大人になってまで残ってしまう場合です。現実の「等身大の自分」を自覚できず、自己を「誇大視」し続けて、自分は何でもできる(できる存在でありたい)といった「万能感」を持ち続けることです。これは、社会生活を行う上では、当然のごとく、他人との調和ができず、問題を生じさせやすくなります。

 通常は、子どもの発達の過程で、「誇大自己」を修正するプロセスがあるのですが、そのプロセスが欠落してしまう場合があります。そうした場合に、誇大自己が残留し問題となります。では、どうした場合に、誇大自己が修正されないのでしょうか。


 それは、
1あまりにも急速に、「誇大自己」の自己顕示的な願望の満足が奪われたり(親に見捨てられたり、何らかの形で親の愛情を受けられなかったり)、

逆に、
2いつまでも過度に満たされ続けると(過干渉、甘やかされ続ける)、「誇大自己」をほどよく断念させられることがなく、成長した後も、心の中に、「誇大自己的構造」が残ってしまう、

と言われています。

 なお、この点については、あくまでも「心理学上」の分析です。心理学では、こうして、親や周囲の環境に、子どもの人格上の問題の原因を求めるケースが多いように思いますが、仏教思想をも合わせて研究しているひかりの輪では、こういった子どもになるのは親や環境が悪い、という考え方は、学ぶ価値はあるものの、とらえ方が一面的であり、単純化しすぎている、と考えていますので、その点を前もってお断りしておきます。

 例えば、同じような不遇の環境にあっても、健全に育つ子どももいるからです。昔はよく、「親はなくても子は育つ」と言われました。不遇をバネにして、たくましく育つ人たちの話がよく聞かれました。よって、環境条件は唯一の原因ではなく、あくまでも「本人の条件」と「環境条件」の合体が結果を生む、ということになります。

 これは仏教思想の一部にある考え方でもあります。仏教の中心的な教えに「縁起の法」というものがありますが、これは、「因縁生起の法」の略であり、すべての現象は、因と縁によって生じる、というものです。そして、この「因と縁」の解釈として、「因」を原因(ないし直接原因)、「縁」を条件(ないし間接原因)と解釈し、その二つの結合が結果を生じさせる、という解釈があります。

 この視点を推し進めていきますと、私たちの見解としては、後ほど詳述することにしますが、子どもと親の中で親が悪い、というよりは、「精神病」や「人格障害」は、「現代の都市文明のあり方」に、根本的な原因があって、その中で育った親が子どもを産む中で、子どもにも、親にも、そして、それを取り巻く社会環境全体に、精神的な問題の要因が増大しており、そのすべての結合が問題を生み出しているのではないか、という総合的な見方です。

 さらに、その精神的な問題の中核とは、仏教的に言えば、他より自己を優先させる、「エゴ・自我意識」といったものですが、その根底には、人間が、本来、「母なる大自然」の一部であって、その中で皆が助け合って生きているにもかかわらず、加速する都市文明と競争社会の中で、「母なる大自然」から切り離され、自分と他人もバラバラになってしまい、他人よりも自分を優先する「エゴ」が強くなり、本来有していていた「精神的な安定のメカニズム」が損なわれてしまったのではないか、ということです。

 それはさておき、心理学に基づく分析に戻りましょう。

 さて、人間は誰しも「自己愛」というものがあります。自分を愛する、大切にしたい、という心です。そして、現実に立脚しない「虚栄心」ではなく、よい意味での成熟した自己愛として、「自尊心や理想」といったものがあります。
 
 すなわち、「自己愛」の中に、現実に立脚した、現実の自分に基づいた自己愛と、現実に基づかない虚栄心や誇大妄想的なものがある、ということです。前者は、それを土台として、現実の中で、他人に役立つ善い自分になりたい、とか、偉人になりたい、といった「健全な自己愛」、他人にも良い意味で自己を大切にする方向に至る力となり得ます。

 しかし、後者は、現実と他人との関係を無視し、自分の「独りよがりな妄想」の世界の中で、現実の他人に迷惑をかけながら、自分を大切にしようとするわけです。そして、実際には、他人も自分も損なう結果となります。

 さて、次に、この自己愛が発達・成熟していく過程において、先ほど述べたように、心理学の学説では、「誇大自己」と「理想化された親のイマーゴ」といったものを発達させると言われています。

 ここでの「理想化された親のイマーゴ」とは、自分を支配し、願望をかなえてくれる「神」のような親の理想像です。「理想化された親のイマーゴ」は、「誇大自己」より少し遅れて発達しますが、この「理想化された親のイマーゴ」も、子どもの健全な成長にとって欠くことのできないものです。

 すなわち、心理学上の考え方では、ある時期、親や身近な大人を、「理想化したもの」として尊敬し、「手本」として取り込むことが、その後の人生において自らを律し、理想に向かって努力し、他者を尊重し、適切な愛情を結ぶ土台を築くために必要だとされます。

 もちろん、ある時期に生じた「理想化された親のイマーゴ」は、子どもが成長する中で、現実の親や大人の「理想的ではない部分」を徐々に認識する中で、徐々に解消されていき、その結果、理想ではなく、現実に基づいた、親や他者への尊敬・尊重に変わっていきます。これは、「誇大自己」が解消されて、現実的な自尊心や自信に姿を変えていくのと同じです。

 ところが、何か不幸な事情で、親や周囲の大人が、「理想化されたイマーゴ」としての役割を果たせず、本人の期待をひどく裏切ったり、本人に対して支配的すぎたりすると、本来の育むべき理想や自立心が育たないままに、親のイマーゴばかりが、「過度に膨らんだもの」として、本人の心の中に、居座り続けることになるとされています。

 こうして、現実的な成熟した健全な自己愛に向かった発達が損なわれた結果として、「誇大自己」や「理想化された親のイマーゴ」が残存して支配するという考え方は、子どもや大人の「非行」を理解する上で、非常に有効な概念だとされています。

 そして、「誇大自己症候群」とは、現実的な成熟した健全な自己愛・自尊心・自信の形成に失敗した場合に、それを補うために、肉体的には成長してもなお、「誇大自己」が支配的な力を持ち続ける状態といえます。

 さらに、誇大自己症候群では、「理想化された親のイマーゴ」の形成にもつまずいています。その結果は、「過度な服従」をとる場合と、「強い反抗」をする、という二つの形であらわれますが、いずれの場合にしろ、その根底には、「過度に理想化されたもの」としての親が強く存在し続けているのです。

 以上の概念は、精神分析から出て、自己愛の心理学である「自己心理学」を打ち立てたコフートによるものですが、コフートの概念枠では、こうした「誇大自己」を特徴とする状態について、「自己愛性人格障害」であるととらえて、そうした基本線に従って体系を作り上げています。

 ところが、「誇大自己」は、「自己愛性人格障害」だけに認められるものではなく、例えば、マスターソンは「境界性人格障害」でも、自己否定感を補償するために、「誇大自己」を膨張させた状態が、出現したケースを丹念に報告しています。

 また、前出の岡田氏自身が、非行や反社会性人格障害のケースで、病的に肥大した「誇大自己」と出くわすことが一般的であることを経験してきたといいます。さらには、他者から拒絶される体験をし、自己愛の傷つきを抱えた発達障害の子でも、自分に強いこだわりを持っている他の人格障害においても、実は「誇大自己」が大きな支配力を発揮していることを痛感するようになったということです。

 それと同時に、従来の概念を横断して生じている現象に対して、的確に記述する用語の必要性を感じるようになり、「誇大自己症候群」という概念が生まれたということです。


■麻原の「誇大自己症候群」の可能性について

 さて、次に、これらの心理学・精神医学の理論に基づいて、麻原の人格発達に関して、その幼少時から分析してみたいと思います。なお、幼少時の事実関係については、一般のジャーナリストの取材による『麻原彰晃の誕生』などを参考にしました。

 その前に、「誇大自己症候群」に陥る条件とその結果を確認しておきましょう。そのために、前項の要点をまとめておきます。

 誇大自己症候群に陥る条件としては、「あまりにも急速に、誇大自己の自己顕示的な願望の満足が奪われたり(親に見捨てられたり、何らかの形で親の愛情をうけられなかったり)、逆に、いつまでも過度に満たされ続けると(過干渉、甘やかされ続ける)、誇大自己をほどよく断念させられることがなく、成長した後も、心の中に、誇大自己的構造が残ってしまう」というものです。

 そして、その結果起こる誇大自己症候群とは、「現実的な成熟した健全な自己愛・自尊心・自信の形成に失敗した場合に、それを補うために、肉体的には成長してもなお、"誇大自己"が支配的な力を持ち続ける」という状態です。

 さらに、誇大自己症候群では、「理想化された親のイマーゴ」の形成にもつまずいており、それは、「何か不幸な事情で、親や周囲の大人が、"理想化されたイマーゴ"としての役割を果たせず、本人の期待をひどく裏切ったり、本人に対して支配的すぎたりすると、本来の育むべき理想や自立心が育たないままに、親のイマーゴばかりが、"過度に膨らんだもの"として、本人の心の中に、居座り続けることになる」というものです。

 そして、その結果は、「"過度な服従"をとる場合と、"強い反抗"をする、という二つの形で表れるが、いずれの場合にしろ、その根底には、"過度に理想化されたもの"としての親が強く存在し続けている」ということです。

これに基づいて、麻原の生い立ちを分析してみたいと思います。なお、誇大自己症候群については、岡田尊司著『誇大自己症候群』(筑摩書房、2005)、麻原の生い立ちについては、高山文彦著『麻原彰晃の誕生』(文藝春秋、2006)を参考にさせていただきました。


■麻原の生い立ちは、「誇大自己症候群」を発症する条件に当てはまる

 麻原の生い立ちを取材した『麻原彰晃の誕生』に基づけば、麻原は、誇大自己症候群に陥る条件とされる「あまりにも急速に"誇大自己"の自己顕示的な願望の満足が奪われる(親に見捨てられたり、何らかの形で親の愛情を受けられなかった)」、「何か不幸な事情で、親や周囲の大人が、"理想化されたイマーゴ"としての役割を果たせず、本人の期待をひどく裏切る」という条件をよく満たすことがわかります。

 まず、麻原は、子どもの頃から頭が良く、自尊心が強かったようです。「自尊心の高さ」は、誇大自己症候群の土台となり得ます。
智津夫は生まれながらに、左目がほとんど見えなかった。右目は1.0近くの視力があったが、先天性緑内障と視野狭窄症の兆候が認められた。
 麻原被告はまた、幼いころから自尊心が高く、自分がすでに習得していることを改めて学校で習わされると、露骨にいやがった。
 父親や長兄たちは、麻原被告に、読み書きや算数など生活に必要な教育はすでに授けてあった。
 少年時代の麻原被告は、ほかの子供より早熟で、特に算数などの能力は、珠算1級の長兄の目から見ても、ずば抜けたものがあったという。
「とにかく頭は子供の頃からよかった。簡単な足し算くらいなら3歳ごろからできたし、もの覚えも早かった。

(高山文彦『麻原彰晃の誕生』文藝春秋、2006、p.21)
 その後、普通学校に通っていた麻原は、長兄などの考えで、無理矢理、親元を離れる全寮制の盲学校に転入することになりました(以下で「智津夫」とは、麻原の名前である智津夫のこと)。
(松本)智津夫より十一歳年上の長兄と父親は、家のすぐ近くにある金剛小学校に行かせようと考えていた。運動能力もふつうの子供以上に発達しているし、盲学校に入学させるつもりはなかった。
 1961年4月、智津夫は金剛小学校に入学した。それが熊本県立盲学校へと転校することになったのは、智津夫の将来を案じた長兄が、いやがる智津夫をねじ伏せて連れていったからだという。長兄もこのとき、盲学校に通っていたのだ。(『麻原彰晃の誕生』p.22)

国からは就学奨励金という補助があたえられ、貧しい家庭には寄宿舎での食費は免除される。両親も長兄も、それが自分たちの家に適用されることを知っていた。
幼い智津夫は、父親や長兄から盲学校へ行こうと告げられたとき、
「いやだ、いやだ。今の学校に行く」
と泣き叫んだ。
 智津夫と同じ目の病をもつ長兄の両目は、成長するにつれて見えなくなってゆき、やがて全盲になった。智津夫もゆくゆくは自分と同じようになると考えた兄は、将来の生計のためにせめて鍼灸の技術を身につけさせようと考えたのである。

(『麻原彰晃の誕生』p.23)
 しかしながら、麻原の方は、この転校によって、親に捨てられた、と認識しているようです。
けれども(松本)智津夫から見たとき、盲学校への転校の事情はかなりちがってくる。のちに「彰晃」という名をさずけてもらうことになる社団法人「社会総合解析協会」会長の西山祥雲に、27歳の智津夫は赤裸々にそのころのことを打ち明けている。
「親父はその子と親のいる前で、私をぶん殴りましたよ。人まえで殴られたことが、悔しくてたまりませんでした。おふくろは、恥ずかしくてもう表を歩けん、と叫ぶし、親父は親父で、こいつ捨ててしまおうか、いや捨てるわけにはいかんだろうからどっかにあずけようか、と怒鳴っていました。兄は私より、もっと目が悪いんです。兄が盲学校に行くのはわかります。どうして目の見える私を盲学校にいれなきゃならないんですか。私は親に捨てられたんですよ。(以上麻原自身の言葉)
 親への恨みつらみを述べたてながら、最後には涙を浮かべていた。幼児期に刻印された傷は、大人になっても消えるどころか増幅されていったようだ。自分のしでかしたことについては蓋をしたまま、傷つけられた悔しさばかりが智津夫の胸を蝕んでいる。
 智津夫が西山祥雲に話したことは、それだけではない。
「スイカなんか盗んでいないのに、親父は私をスイカ泥棒だと決めつけたことがありました。おまえがやったんだと言われて、こてんぱんに殴られたあげく、もうおまえはこの家には置いとけん、どこかにあずけるしかないと言われたんです。そうやって私を家から追い出す理由を、親父はつくっていったんですよ」
 智津夫の話の内容が事実なのかどうか、そのまま信じるわけにはいかないが、ひとつだけはっきり言えることは、幼くして親に捨てられたという意識を強く懐いたということである。

(『麻原彰晃の誕生』p.24)
 そして、転校後、麻原は、友人に比べても、親の愛情を受けることができず、「親に搾取された」とまで考えていたようです。
休みの日になると遠方から親たちがやって来て、寄宿舎生活をしているわが子を抱きかかえるようにして家に連れて帰り、愛情を降りそそいだ。季節の変わりめには、新しい服を買って届けに来た。
「そんななかで智津夫君のところだけは、休みの日になっても両親が迎えに来るようなことはありませんでした。智津夫君は休みの日には、たったひとり寄宿舎にとりのこされるわけです。ほかの同級生たちは親が服を買ってきてくれるのに、智津夫君にはそれもありませんでした。私たちが上級生の親御さんに了解を得たうえで、おさがりをもらって着させていたんです」
 当時、智津夫の担任をつとめた元教師は、そう語る。
 智津夫には規定どおりに就学奨励金が下り、寄宿舎の食費も免除された。智津夫の両親はその就学奨励金を、家のほうに送ってほしいと学校側に頼んできた。
「これは子供さんの将来のために貯えておくお金なんですよ」
 学校側は、そう言って断わった。
 智津夫の親は、就学奨励金を自分たちの生活費の一部に充てようとしたのである。六歳の智津夫は、いわば口減らしのために、この盲学校に出されたのではなかったのか。
 このことについては、のちに智津夫自身も、
「私の親は、国から下りる就学奨励金を自分たちのために使おうと、私からかすめとったんですよ」と西山祥雲に打ち明けている。
「かすめとった」というのは事実ではないようだが、親にたいする智津夫の思いは、それほどまでにねじくれていたということだ。

(麻原彰晃の誕生』p.28)
 そして、ある女性教師は、麻原の寂しさに同情しています。
この写真を見ていただければ、智津夫君がどんな子だったか、そしてどんな環境に育ったのかわかっていただけると思って。いまさらこんなことを言っても仕方のないことですけど、智津夫君のさびしさをわかってやることができていたらと思うんです

(『麻原彰晃の誕生』p.28)
 こうして、麻原は、

1若くして親元を離され、
2自尊心が高いにもかかわらず、普通学校から盲学校に移され、
3盲学校の寮生活では、友人と違って、親が休日に迎えに来たり、服を買ってやったりすることはなく、
4逆に親が麻原の奨学金は自分の生活費に使おうとする

などしたのです。

 その結果として、「親に捨てられた」「親に自分の金をかすめ取られた」という意識が生じたようです。これが、誇大自己症候群が発症するケースの条件に当てはまります。

 では、以下には、誇大自己症候群に見られる性格上の特質、それに当てはまるのではないかと思われる麻原の生い立ちや、教団での言動を比較検討していきたいと思います。

【4】「誇大自己症候群」の特質と麻原の言動の比較検討

 当然のことながら、以下に説明する「誇大自己症候群」の人の性格には、さまざまな否定的な特質があります。

 そのため、これを安易に扱ってしまうと、すべての人が、程度の差こそあれ、誇大自己症候群の傾向・要素を持つということを無視し、誇大自己症候群である悪い人とそうではない善い人といった具合に、人間を二分化・差別化してとらえることになりかねません。

 仮に、私たちが、「自分には、まったく誇大自己症候群の要素・傾向はなく、あいつらだけが、誇大自己症候群なんだ」と考えてしまうならば、傲慢さ、軽蔑、差別の心が生じる恐れがあります。

 よって、まず、第一に、「すべての人が程度の差こそ誇大自己症候群の傾向・要素というものを持っている」ということを確認して、第二に、誇大自己症候群の良い点として、「誇大自己のエネルギーは、偉人を生む力ともなる」という点を説明したいと思います。

 心理学上、誇大自己症候群の人は、常識人がもたないエネルギーや発想を秘めていることもあり、それをうまく生かせば、大きな力とすることもできるとされます。

 わかりやすく言えば、誇大自己症候群の要素には、例えば、「偉人と呼ばれるような人になりたい」という欲求などがありますから、それが現実的な方向性に働くならば、大きな業績を残す原動力になる可能性もあるわけです。

 そして、その人に対する周囲の接し方や支え方で、有害な部分を最小限にし、長所を引き出すことは可能です。
 また、誇大自己症候群の人は、一方でとても魅力的な一面を持つことも多いのです。誇大自己症候群の人は、一見すると「いい人」に見えたり、とてもまじめで控えめな印象を与えたりすることも多くあります。

 第一印象では、一般の人は欺かれがちであり、好印象を持ってしまうことも多くあります。「カリスマ性」という点では、誇大自己症候群の人は、優れた素質をもっている場合もあるので、魅了されてしまうこともある、ということです。

 では、こういった「誇大自己症候群」の普遍性と肯定的な側面の存在を踏まえつつ、うまく現実に適応できない場合に、その症候群が、どういった否定的な側面を呈するかについて、以下に細かく見ていきたいと思います。


(1)「万能感」という誇大妄想

 誇大自己の持つ「万能感」は、何かに挑戦しようという前向きな力にもなります。しかし、現実認識が甘く、現実と遊離した形では、「誇大妄想」の万能感となって、それは、危険なものとなります。自分は何でもできる、という「自己誇大視による万能感」があり、等身大の自己認識を欠いてしまい、現実が伴わない「過剰な自負心」となります。

 麻原については、この傾向がしばしば見られます。

1人徳もなく生徒会長になろうとして落選したこと
2学力もなく「国立の医学部に入学し医者になる」とか、「東大の法学部に入学して総理大臣になる」と主張し失敗したこと
3宗教団体を開いてからは、民主的に政権をとろうと考えて、選挙に出て惨敗したこと
4その後は教団武装化=軍事力によって、日本・世界の王になろうとしたこと

などです。


(2)自己顕示欲

 「見捨てられ体験」をした者は、自分に確かな価値観が感じられず、周囲の関心や注目を過度に求めることで、「自分の価値」を確認しようとします。満たされない思いを補うために、誇大な願望を膨らませ、派手な自己顕示に向かいます。 

 誇大自己は、絶えず「注目と賞賛」を望みます。自己顕示欲というものは、本人は大まじめでも、第三者の目には滑稽に映ったり、異様であったりするようです。自己顕示欲的行動は、それに感応した人を惹きつけますが、そうでない人には茶番に映ります。

 この傾向も、麻原には顕著です。例えば、

1青年時代に、寮生活で学友を集めて行なったとされる「松本智津夫ショー」
2衆議院選挙で行った特異なパフォーマンス(滑稽・異様に感じた人も多かった)
3自分の誕生日に「キリスト礼拝祭」と名付けた教団の祭典を行い、その中で、実際に自分が十字架に掛かる(ことで自分がキリストである)という演出をしたこと

などです。

 その他にも、社会の注目を集める「派手で特異な」活動・言動は枚挙にいとまがありませんでした。


(3)「自分こそが世界の中心である」という誇大妄想

 自分を世界の中心である「特別な存在」であると思い、自分が特別な存在で「唯一絶対の存在」であるような思いが、心を支配し続ける傾向があります。

麻原の場合は、

1実際に、「私が世界の中心であることは間違いなく・・・」と語る説法があること
2自分のことを、「最後の救世主」「キリスト=世界の王」「未来仏マイトレーヤ」
「地球の教祖」になるなどと宣言・予言していたこと
③ インドでは、お釈迦様が悟りを開いた場所で、立ち入り禁止である場所に座って、自分を仏陀と同列に位置づける行為をなした(地元住民とトラブルとなった)こと
④ 歴史上の皇帝・将軍など、その時代の中心人物を「自分の過去世である」と語ったたこと

など、これも枚挙にいとまがありません。


(4)「他者に対する共感性」の未発達、喪失

 このことは、「他者に対する二面性」に現れます。それは、冷酷な血も涙もないような行いと、過度に親切で優しいという一面です。

 しかしながら、親切で優しく振る舞う状況と、ドライで酷薄に振る舞う状況の落差を分析すると、どちらも、「その人の気分や欲求」に重心が置かれており、相手の視点や立場に立った、本当の「共感」や思いやりによるものではないことが明らかとなります。

 その背景には、冷酷さも、過度な感情移入も、その人が「世界の中心」にいる、という設定条件の下に生じています。感動したり共感しているように見えるときも、相手の思いよりも自分の思いに力点が置かれ、感動している自分自身への陶酔という側面が強く、とかく「独りよがりな思い」に走りがちです。

 麻原の場合は、一連の事件などの冷酷さと、信者に見せた行為の「二面性」がこれに当たると思われます。


(5)権威への反抗と服従

 「誇大自己」と「理想化された親のイマーゴ」という二つの自己愛を映し出すものとして、「自己対象」と「全能対象」があります。

 「自己対象」は、「自分のもの」であり、「自分の思い通りになる対象」であり、これが、誇大自己の欲求を満たしてくれるものとなります。

 「全能対象」は、理想化された親がその原型となりますが、それは、しばしば自分を叱り、自分に畏怖を感じさせる「絶対的な強者」でもある親のイメージです。それは、教師や師と仰ぐ人物への「尊敬」となり、神やそれに類する絶対者に対する「畏怖心」となります。

 しかし、先ほど述べましたが、親に激しい失望を味わうような体験をした場合は、この「理想化された親のイマーゴ」が適切に発達した上で適切に解消される、というプロセスを経ることがなく、反抗的になったり、「反社会的」になって、他者に対して信頼や尊敬を抱きにくくなります。また、権威ある者に対して、理由もなく突っかかっていこうとします。

 これも麻原によくあてはまります。麻原は、親に捨てられた、と考え、非常に「反社会的な人格」を形成し、高名な修行者である、パイロットババ師、カル・リンポチェ師、ダライ・ラマ法王などに師事したかと思えば、すぐに自分より下に置いて、結局は、「自分が世界で最高の聖者である」という意識を持ちました。国家権力やアメリカと言った社会の権威に対して「敵対」したことも言うまでもありません。

 なお、別のケースとして、親から無償の愛情を与えられなかった者は、親を過度に理想化した上で、親の呪縛(支配)を受け続け、親に他人行儀に気を遣い、大人になっても親に認めてもらおうとするケースがあります。

 これは、麻原の信者のケースではないかと思われます。麻原の信者も、麻原をキリストとして認めて帰依することによって、自分たちが「キリストの弟子」として、世界の人類の中の頂点に至るという誇大妄想的な欲求を満たそうとしたのですから、「誇大自己症候群」の可能性があります。

 そして、信者は、自分の肉親の親ではなく、麻原を「第二の親」とした面があり、実際に、教団の中で隠語で「お父さん」と言われることもあります。その信者は、「親である麻原」を過度に理想化=神格化し、事件後でさえ麻原の呪縛(支配)を受け続け、今でも、麻原や麻原の家族に認めてもらおうとしています。非常によく当てはまります。

 なお、麻原は、現実の世界で、「理想化された親のイマーゴ」への欲求が満たされなかった中で、彼の内的な妄想世界に現れる「シヴァ大神」に、それを求めたように思います。現実世界では与えられなかったので、自己の妄想の世界で、それを満たしたというわけです。

 この「反抗」と「愛情の希求」という相反する方向が、混じり合っていることも多くあります。誇大自己症候群に見られるのは、まさにこうした事態です。権威への「反抗」と「服従」という二面性に引き裂かれるのです。

 しかし、それは二面であっても根本原因は一つです。親や親代わりが、自分の「誇大自己」の欲求が満たしてくれる存在でないと思えば、他人に反抗し、他人を尊敬しない側面が現れますが、同時に、潜在的には「誇大自己」の欲求があるので、それを満たしてくれると思える存在・対象に対しては、とたんにそれに「服従」して、欲求を満たしてもらえるようにするという訳です。

 これが、

1麻原が、彼の「シヴァ大神」に絶対的に服従しつつ、一般社会への強い反抗・攻撃をなしたことや、
2麻原の弟子たちが、松本への絶対的帰依を実践しつつ、麻原と共に、一般社会に反抗したことに当てはまる、

と思います。

 ここでは、服従も反抗も「極端」になります。なぜなら、その動機・原因である「誇大自己」が極端だからです。その欲求が強いので、それを満たしてくれない存在には、憎しみが生じ、満たしてくれると思えるものには、完全に服従して、欲求を最大限に満たそうとするということです。


(6)強い支配欲求

 「誇大自己症候群」の人にとっての対人関係の特徴は、「所有と支配」という色合いを帯びています。相手を自分の思い通りにしようとします。自分の考えだけが正しくて、一番よいと思っているので、それを受け入れない人は、「愚かで悪い人」とみなされてしまいます。自分の思い通りになり、意のままに支配できる存在は「かわいい」存在であり、そうでない存在には「むかつく」のです。

 麻原の場合は、この傾向も顕著でした。例えば、

1幼少のころから、生徒会長、政治家、総理大臣なることを夢想し、
2生徒会長の選挙に落選すると、気にくわないと思った生徒を片っ端から殴りつけたり、
3教祖になると、自分が「世界のキリスト」になる人物とする予言を発表し(「キリスト」とは、麻原の解釈では「王」という意味で、祭政一致の世界の統治者を意味する)、
4選挙に出て政権を取ろうとしたり、
5教団武装化=軍事力で日本・世界を自分の国にしようと妄想しました。

 また、グルとしても、麻原は、弟子たちに対して「唯一のグル」として君臨し、カル・リンポチェ師などの他の高名なグルから、弟子が瞑想法の伝授を受けることなどを否定しました。「密教では、グルは一人である」として、弟子が他のグルから学ぶことを否定したのです。

 また、自分の支配欲求に反するものは、「悪」と認識して怒りを現わすわけですが、そうすることを正当化するためにも、それを「悪」に仕立て上げるのです。
 
 麻原の場合にも、これが当てはまり、彼の「世界の統治者」になろうとする過剰な欲求のために、自分の弟子にならないすべての人たち=外部社会の人たちは、「悪業多き魂」というレッテルを貼られました。

 さらに、「誇大自己症候群」を抱えた人は、愛情を、「支配と所有」の関係でしか見ることができません。愛情を、どれだけ服従するかで測るだけでなく、それに報いる術も、所有する物を分配することしかない、と思っているのです。
 ある犯罪者の例として岡田氏は、愛情飢餓を埋めるために、ますます物や金をばらまき歓心を得る、という行動パターンがエスカレートしていった、という例があることを書いています。

 麻原の場合は、小学校5年生のとき、児童会会長選挙に立候補したとき、お菓子を生徒たちに配って自分に投票するように言い含めたり、衆議院選挙の際も、安い野菜を有権者に提供したりしました。

 教団の教祖になってからは、彼により深く帰依する者に、成就者として、教団内の「高い地位」を与えました。逆に言えば、「麻原に対する帰依」こそが、成就の認定を得る上で最も重要な要素であるとされました。

 もちろん、帰依が最も重要だとされつつも、80年代などの教団の初期は、瞑想修行の成果などに基づいて成就認定が行なわれており、それなりに弟子たちの精神的な満足があったと思われます。

 しかし、93年ごろからは、「ヴァジラヤーナ活動に貢献した男性」や、「麻原の子どもを産んだ女性」に、高いステージが与えられ、94年になると、LSDを使ったイニシエーションの体験において、「麻原への帰依や救済のヴィジョンを見た者」について、成就者の認定を与えました。

 さらに、95年には、強制捜査が近づき、教団が崩壊する直前になると、大勢の弟子たちに高いステージをいきなり与えましたが、これは、状況からしても、弟子たちを離反させないための策だったのではないか、と推測されます。

 それは、逮捕された後も続いて、同じく逮捕された石井氏や都沢氏を獄中から昇格させようとしていましたが、彼らがまもなく離反したので、それを取り消さざるを得なかったなどといった、完全な「破綻」にまで至ったのでした。


(7)罪悪感・自己反省の乏しさ、責任転嫁と自己正当化

 まず、麻原の生い立ちに関しての書籍から、引用をしたいと思います。主に、担当した教師による見解です。
「智津夫は高等部に上がったころから、やることが狡猾に、陰湿になっていったんです。われわれの目の届かないところでね。そして発覚したら、居直りを決めこむ。担任ではどうにもならんときは、生活指導の教師や古手の私などが面接室に連れていくわけです。そうすると、さっきの勢いはなんだったのかと思うほど、卑屈な態度に変わるんですね。もう言わんでください、と懇願するようになる。さらに突っ込まれると、最後は泣くんです。激しやすい反面、非常にもろいところがあった。しかし、実際には、まったくこちらの気持ちは届いていないんです。反省するということがない。智津夫にあるのは自我だけです。自我に敵対するものは徹底的に排除するかわり、自我のなかに無条件に飛びこんでくるものは、自分のほうから受けいれていったんじゃないでしょうか」

(『麻原彰晃の誕生』p.43)
 犯罪行為についても、保険料不正受給や薬事法違反から、その後の出家者の親、マスコミの批判や、さまざまな犯罪行為に至るまで、真剣な反省は今も見られません。裁判での意見陳述では、「自分は常に四無量心(仏教で言う慈悲の心)で生きてきた」と主張し、不規則発言の中で、再び「自分は弾圧されている」といった主旨の主張をしています。

 「責任転嫁」も顕著であり、一連の事件に至っては、弟子に責任転嫁をして、「自分は止めようとしたが弟子がやった」などという架空の主張をなし、選挙の落選も、国家の権力の「陰謀」として責任転嫁しました。


(8)現実よりもファンタジー(幻想)や操作可能な環境に親しむ

 この傾向は、生の現実ではなく、思いのままにコントロール可能な模造現実を居心地よく快適と感じるものです。ファンタジーであれ、その底流にあるのは同じく、「思い通りになる」ということであり、「万能感」を容易に充足させてくれるということです。

 「誇大自己」を抱えた人は、社会的な孤立と、自分は周囲から認められないという思いは、単に自己否定感を深めるだけでは終わらず、それを補うために、心の中で、別のプロセスが進み始めます。

 すなわち、より誇大で自己愛的なファンタジーにのめり込んだり、思い通りになる弱い存在を支配することで、自分の万能感や力の感覚を満たし、どうにか折り合いを付けようとするのです。そして、麻原の場合は、ファンタジーにのめり込むことと、思い通りになる弱い存在を支配することの双方を兼ね備えていたのが「宗教」でした。

 彼は、自分が師と仰いだ宗教法人の教祖から、希望している政治家にはなれないから、代わって、「弱い人間を相手にする宗教」をやることを助言されました。そして、その師の手品を見て、宗教に使えると考え、それをしきりに習いたがったため、その師に絶縁される、という経緯があったといいます。そして、その後に展開した宗教活動は、今まで繰り返し述べてきたように、まさに妄想的であり、大変悲惨なファンタジーの世界でした。
(9)被害妄想

 次に、前にも出てきている「被害妄想」の傾向ですが、これは、周囲から侵害されるのではないかという「不安」ゆえに、余計にかたくなな態度で、防備を固めようとする傾向にも通じるものです。

 そして、麻原の場合は、この被害妄想が、非常に顕著でした。例えば、

1幼少のころの親に対する見方(親が自分を捨てた、搾取しようとした)
2生徒会選挙に落選した際に「教師の妨害があった」と決めつけたこと
3自分は「キリスト」で「悪魔の勢力から弾圧される」という予言世界観を唱えたこと
4マスコミなどに批判されると、「その裏に創価学会・フリーメーソン・国家権力がいる」と主張したこと
5衆議院選挙に落選すると、「投票操作をされた」と主張したこと
6「米軍の毒ガス攻撃を受けている」という主張を含め、「教団弾圧の裏にアメリカ・CIAが存在している」としたこと

など、枚挙にいとまがありません。


(10)目先の利益や快楽のために他人に害を与えても平気――規範意識の欠如

 麻原がこれに当てはまることは、さまざまな違法行為、犯罪行為を見れば明らかです。
 そして、それは幼少のころからそうだったようです。
「盲学校の生徒には、大なり小なり社会にたいする憤りや、被害者意識、劣等感があるんです。しかし、ふつうの生徒はそんなことなど口に出さずに、社会に協力していこうという気持ちをもっていた。ところが、智津夫には、それがないんです。自分のために、まわりを利用しようという意識ばかりがあった。社会の常識は、自分の敵だと思うとった。そして長兄にくらべて智津夫には、人の上に立ちたいという名誉欲が人一倍強くありました」
同様の話は、複数の元教師や現職の教師からも聞いた。

(『麻原彰晃の誕生』p.33)
 そして、教祖になる前も、保険料不正請求、薬事法違反、そして、治療家としての誇大宣伝・詐欺的な行為など、一貫した傾向でした。
 また、「目先の利益や快楽」といえば、犯罪行為を犯す動機自体が、まさにそれでした。

 最初の事件は、単なる事故死であったにもかかわらず、「教団の名誉・自己の救済活動に傷をつけたくないがあまり」、死体遺棄の罪を犯しました。しかし、そのために、後ほど、それを目撃した弟子が告発することを恐れて、その弟子を殺害するという事件につながっていきました。

 また、坂本弁護士事件は、同弁護士が教団のマスコミ批判の裏にいると考え、それを排除するために行われましたが、マスコミの批判などは常に一過性ですから、静まるまで辛抱すればいいことでした。

 地下鉄サリン事件は、教団に迫る警察の強制捜査を嫌って、延期させるために行われたとされていますが、辛抱して強制捜査を受け止めなかったことが、彼にとって致命的となりました。


(11)内に秘める攻撃性

 誇大自己の万能感は、その絶対性を傷つけられると「自己愛的怒り」を生みます。「自己愛的怒り」は、絶対者である神や王の怒りに似ています。

 これは、すべて自分の思い通りになることを期待し、「自分こそ正しい」という思い込みが否定されることから生じる怒りです。怒りによって生じる行動は、まさに神や王のそれであり、相手に「思い知らせる」ために、相手の存在を消し去ることさえ躊躇しません。

 麻原の場合も、この傾向は非常に顕著でした。麻原は、自己を「最終解脱者」であり、「キリスト」と位置付け、「自分を批判・攻撃した者は、大変な悪業を積むことになり、神々の怒り・裁きが下る」としました。

 そして、それだけに止まらず、その裁きを自ら実行するために、教団の武装化や、さまざまな暴力犯罪を犯しました。すなわち、明らかに、彼自身が、「裁きの神」となっていったのです。彼が解釈した「予言されたキリスト」は、そういった神の化身であり、彼にとってのポワとは、救済であるとともに、一種の「裁き」だったのです。

 また、後の事件に比べると小さいことですが、印象深い事例として、教団を受け入れなかった波野村が、大きな洪水災害に見舞われた際に、それを「真理の団体を弾圧したがゆえの神々の怒り、天罰である」と主張し、地域住民が見るように、その内容のビラを配らせた、ということもありました。

【5】麻原の妄想的な信仰と「誇大自己症候群」

■麻原の妄想的な信仰を「誇大自己症候群」の一部として理解する

 「誇大自己症候群」に基づいて考えると、麻原は、青年期を過ぎても、等身大の自分を受け入れて、社会における現実的な自分の活かし方を見つけて、健全・建設的な自尊心をもって生きることができず、繰り返し、「誇大妄想」に基づく挑戦をし続け、破綻を繰り返しながら、最後に破滅した、ということができます。

 子どものころから、大人になるまで、その「誇大な欲求」は絶えることなく、むしろ、何かにつまずいて破綻するたびに、ますます大きくなって、さらに大きな破綻をして、そのたびに違法行為の度合いも大きくなっていきました。

 具体的には、

1人徳もなく生徒会長になろうとして落選し、
2学力もなく「国立の医学部に入学し医者になる」とか、「東大の法学部に入学して総理大臣になる」と主張し失敗し、
3薬局を開いてからは、知り合いの医師を騙して保険金の不正請求を犯して返還請求をされて事業が破綻し、
4高額な漢方薬を売りまくって薬事法違反を犯して逮捕され刑罰を受け(略式起訴)、
5宗教団体を開いてからは、民主的に政権をとろうと考えて、選挙に出て惨敗し、
6その後は教団武装化=軍事力によって、日本・世界の王になろうとして、
795年をきっかけに、一連の事件が発覚して、破滅した、

 という経緯です。

 こうして、彼は、最後まで、自分が「とてつもなく偉大な存在になる」という欲求を持ち続けました。そして、ヨーガ修行の道に入った段階で、麻原は、その自分の願望を満たす存在を見つけます。それは、麻原の内的世界に現れていた「神(特にシヴァ大神)」でした。

 すなわち、心理学上で言えば、シヴァ大神を初めとする神々こそが、彼の「誇大自己」を満たすための「理想化された親のイマーゴ」だったのです。

 もちろん、シヴァ大神は、彼の内的な体験ですから、瞑想をよく知っている人は、「内的ヴィジョン」とか「瞑想体験」などと言いますが、一般の方には、いわゆる「夢」と同じような性質を持つものであって、実際は、彼とは別の「神様」が現れたのではなく、彼らの「潜在意識が作り上げたヴィジョン」であると解釈していただければと思います。

 なお、ヨーガ・仏教の世界では、単に潜在意識が作り上げたものだとせずに、そういった妄想的な欲求をもった人に縁ができる、「マーラ(妄想神)」というものの存在を説いていますので、そのように解釈することもできますが、ここでは、科学的に検証できない、宗教教義の概念はあえて利用せず、誰もが理解できる言葉を使いたいと思います。

 そして、彼の内的な世界に現れる「シヴァ大神」を初めとする「神々」は、彼を常に「地球で一番偉大な人物になる者」として位置付けます。これは、彼の「誇大自己」の欲求の現れと解釈できます。

 具体的には、彼の神々は、彼に、以下のような啓示・示唆を授けます。

11985年に、「アビラケツノミコトを任じる」との天から啓示を受ける(「アビラケツノミコト」とは、神軍を率いて戦う光の神であり、神仙の民の国を築くものと解釈され、「シヴァ大神」と相談して、その命を受けることにする)

2その後、守護神から「お前はマイトレーヤである」といった示唆を受ける。


388年、シヴァ大神から、「ヨハネ黙示録を紐解くように」と言われ、その解釈を行い、自分がハルマゲドンの際に現れる「キリスト」であると解釈する。

489年、神々から「キリストになれ」という示唆を受ける。

 こうして、麻原の神々は、「アビラケツノミコト」「マイトレーヤ」「キリスト」というように、「世界最高の救世主」としての位置付けを彼に与える者でした。

 麻原の神々とは、誇大自己症候群の理論における、「肥大化した理想化された親のイマーゴ」です。子どものころに現実の親に捨てられた、という気持ちが強かった彼は、子どもの頃に、「誇大自己」と「理想化された親のイマーゴ」への欲求を適度に充足させて、成長とともに適切に解消していく、というプロセスをたどることはできなかったようです。

 その後、麻原は、あるやくざの関係の人に面倒を見てもらって、親代わりと思うまで愛著しますが、その人は病気でこの世を去りました。

 また、西山氏という宗教法人も持つ経営者に相当に傾倒して師事し、彼から「彰晃」という名前をもらい、生涯使うことになりますが、同氏は、麻原の特異な人格に気づき、とても扱いきれないと考えて、絶縁することになります。
 こうして、麻原の青年期を見ると、現実世界において、適切な時期・形で、自分の誇大自己を満足させる「理想化された親のイマーゴ」を得て、適切な時期・形で、「誇大自己」を弱めて現実的な自尊心に変えて、さらには、「理想化された親のイマーゴ」を相対化して現実的な他への尊重を育んでいく、というプロセスがうまくいっていなかったと思われます。

 その結果として、彼は、彼の「理想化された親のイマーゴ」を彼の「内的な妄想」に得ることになったのではないでしょうか。彼は、シヴァ大神を、「わたしの魂の主であり、わたしのすべてである」と語っていました。「神々」とか、「主」という概念は、まさに理想化された親のイマーゴが示す、「絶対者、神」を示す言葉です。

 そして、誇大自己症候群の特徴として、「反抗と服従」がありましたが、「シヴァ大神」は「絶対服従の対象」となります。しかし、絶対服従といっても、彼にとっての「シヴァ大神」は、あくまでも彼の「誇大自己」を満足させてくれる存在であり、それがゆえに、「シヴァ大神」に帰依するのです。


■現実の先輩修行者たちには、反発・反抗し続ける

 そして、「シヴァ大神」に「理想化された親のイマーゴ」を見いだした後の彼は、現実の世界の先輩修行者について、それを本当の意味での尊重・尊敬の対象とすることはなく、次々と否定していきました。

 例えば、雨宮師、パイロットババ師、カル・リンポチェ師、ダライ・ラマ法王などが現れますが、最初は、高く彼らを評価しながら、少し付き合うと、すぐに「自分よりも下の存在」と位置づけました。

 パイロットババ師の下では、師と約束した期間の修行をせず、途中で帰国してしまい、カル・リンポチェ師のイニシエーションも途中から断り、ダライ・ラマ法王も修行者・瞑想家としては評価しなくなり、政治家としての評価にとどめていきます。

 特に、88年のカル・リンポチェ師の際は、「自分の前生のグル」であるとして信奉し始めたかと思えば、しばらく経つと、同師のエネルギーが、シヴァ大神のエネルギーとは違って、(ヨーガでは否定的な意味合いのあるエネルギーである)「タマスである」と否定して、途中から、学ぶことをやめてしまいました。

 その後、日本に師を招いて、自分の信者に引き合わせた際も、しばらくすると、「カル・リンポチェ師のイニシエーション(瞑想法の伝授)を受けた信者がおかしくなった」と主張し、それに加えて、「タントラ・ヴァジラヤーナの教えでは、グルは一人である」として、師が、彼の信者にイニシエーションを与えることを断りました。これによって、信者たちは、「麻原以外のグル」を得ることは事実上できなくなっていきました。

 その後も、このタントラヴァジラヤーナの帰依、「一人だけのグルに絶対的な帰依をする」という考えは残りました。これは、誇大自己症候群に照らし合わせて考えれば、その要素である強い「支配欲」だったと考えられるでしょう。

 さて、麻原が、このような宗教的な妄想世界にのめり込んでいった原因としては、生徒会長の選挙の落選、進学の失敗、治療家としての挫折、政治家志望の挫折などを含めて、現実的な非宗教的な世界における挑戦が挫折した結果として、必然的なことだったかもしれません。

 これに関連して、自分が師事した西山氏から、「政治家は無理だから、弱い人を集める宗教をやりなさい」と助言されて、宗教家になっていったと思われる経緯があります。

 実際には、彼自身が、弱い人であり、まっとうな生き方では成功できない弱さと、そのままでは満足できない弱さがあったのかもしれません。その結果として、自分が「解脱者」といった「特別な存在」になれる可能性がある、宗教世界へのめり込んでいったのかもしれません。


■「妄想的な予言」に見られる麻原の誇大妄想と被害妄想

 そして、その後の宗教活動では、社会から不当に弾圧されているという「被害妄想」を生じさせるとともに、自分がコントロールできる幻想の世界の中で、自分が絶対者であるという「自己万能感」に浸ろうとして、「予言に基づいた教団活動」の世界にのめり込んでいったのではないか、と思われます。

 実際に、「神軍を率いて戦い、ハルマゲドン後の世界の統治者になる」というのは、彼の「誇大妄想・支配欲求」を満足させる内容であって、喜々として自分を「その存在」として位置付けたのではないでしょうか。

 この「アビラケツノミコト」の体験を、麻原の強い「自己誇大視」の特質から分析すれば、まさに、彼の潜在意識の願望を体験したものだったと考えられます。しかし、彼はそれを「神から与えられた真正の啓示である」と思い込んだ(思い込みたかったからそうした)のでした。

 その体験をする前にも、彼は、知人に、「自分は鍼をやっているが、これは仮の姿であって、自分は世直しの指令を受けてきている。この国を変えなければならない。」と話しています。その意味でも、体験が、「自己の願望のヴィジョン化」と推測することは合理的だと思います。

 そして、この体験が示す救世主としての妄想的な位置付けに対して、より具体的なシナリオを加えたのが、次の段階の『滅亡の日』の出版でした。その背景には、麻原が熱中した川尻氏が描いた『滅亡のシナリオ』(川尻徹、週刊プレイボーイ特別取材班、1985)のフィクションの世界を現実と取り違えて、「有名な予言を自作自演で成就させる」という妄想でした。

 それは、「ヨハネ黙示録」や「ノストラダムス」といった予言上の「救世主」であり、悪の軍勢と戦い、ハルマゲドン後「世界を統治する者」であり、しかも重要なこととして、その予言をシナリオ=計画と見て、自分の教団によって実現する「使命」がある、という思い込みでした。

 自分の思うように世界を操れる=操りたいという「自己誇大視」から生じる、麻原の万能感への欲求と支配欲は、「自分こそが、絶対神から与えられた特別なシナリオによって、その予言=シナリオを計画通りに遂行していく」という『滅亡のシナリオ』の考え方にマッチしたのでした。

 そして、立花隆氏が書いているように、麻原は、信者をだましたのではなく、ヒトラーと同様に、自分自身も本気で「ノストラダムスの予言」や「ヨハネの黙示録」の予言を「信じ」、自分が予言を実現させるべき人間であると「信じ込んでいた(信じたかった)」のだと思います。これはまさに、誇大自己が肥大化した結果として、人間心理に潜む「狂気」といえるでしょう。

 さて、1990年3月の説法を見てみます。この時期は、坂本弁護士事件に関連して社会から攻撃を受け、総選挙に敗北し、敗北を「被害妄想的」に受け取るという、「社会から理不尽な扱いを受けている」という認識の下での説法です(真実は理不尽でもなんでもないのですが)。ここでは、弾圧の理由自体が「自分が弾圧されると予言された救世主だから」という「誇大妄想」から導き出されており、誇大妄想と被害妄想がセットになっています。

 最初からまとめると、まともな準備や地盤もなく総選挙に出て成功するという「誇大妄想」を抱いて、それが当然のごとく惨敗に終わると、今度はそれを、社会の弾圧と断じる「被害妄想」が生じ、それと同時に、弾圧されるのは自分が救世主だから、という「誇大妄想」を膨らませていきます。

「今、日本においてオウム真理教は徹底的なサンドバッグの状態になっている。なぜ、オウム真理教がそのサンドバッグの対象にならなければならないのか。
(中略)
わたしはどう考えているかというと、やはり『ヨハネの黙示録』に出てくる、そして『ノストラダムスの予言』に出てくる教団であるから当然であろうと。
 君たちも、もう知ってるかもしれないが、ワシントンに、1990年、今年だね、ものすごい巨額な費用をかけて、ユダヤ人がナチス・ドイツに虐殺された、そのための記念館を造るということだ。
(中略)
 いよいよユダヤ人、フリーメーソンが登場したなと、表面に出てきたな、と、これがわたしの印象です。そして、オウム真理教に対する彼らのバッシングの狙いは、オウム真理教を崩壊させること、あるいはオウム真理教を従わせることにあると。
(中略)
 私が今ここに存在しているのは、すべての魂がいつの日か必ずマハーニルヴァーナに入るためである。そして、それをなさせること、これが私の使命だと考えています。
 オウム真理教にとって90年代の日本で生き抜くことは至難の技でしょう。しかし、この至難の技を乗り切れるという予言の内容がある以上、乗り切らなければならない。そして、新しい光音天へ向かう地球づくりをしなければならない。」


 こうしてみると、麻原と社会の関係は、麻原の妄想的な過激な言動に、社会が反発し、その社会の反発を麻原が自己の誇大妄想を増大させるために再度利用する、といった、一種の「悪循環」があったのではないか、と思います。

 これが、オウム真理教が、社会からの批判・攻撃に強い側面を形成していたのです。こうして、相手が過剰な激しい反発をすればするほど、それを自分の「被害妄想」と「誇大妄想」に結びつけ、さらに社会の注目を集めて振り回しますから、本来は、力強くも静かな落ち着いた対応をすることが最善だったのかもしれません。

 ともかく、このような仕組みによって、「世界征服をたくらむ影の組織フリーメーソンが教団を攻撃してくるのであり、自分たちは予言された救世主の団体である」という幻想世界を突き進み、それに弟子たちを巻き込んでいったのでした。


■時代全体にあった(妄想的な)予言の流行

 なお、このような彼の妄想的な予言への傾斜は、広い意味では、時代の潮流の一部であったように思われます。

 例えば、「ノストラダムスの予言」については、1973年の五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』(祥伝社)がベストセラーになりましたが、麻原も、その存在を知ったことでしょう。

 その後、麻原が入信した阿含宗でも、桐山氏が『1999年カルマと霊障からの脱出』(桐山靖雄、平河出版社)という本を1981年に出してもいるので、さらに興味が増していったと判断できます(麻原は1980年夏に阿含宗に入信している)。

 さらに、その後、酒井勝軍という人物の影響で、岩手県の五葉山にヒヒイロカネの収集に行っています。その時に、酒井が五葉山頂でハルマゲドンの黙示を受けたという話を案内者から聞いた、といいます。

 その酒井勝軍の予言は、「今世紀末、ハルマゲドンが起きる。生き残るのは、慈悲深い神仙民族(修行の結果、超能力を得た人)だ。指導者は日本から出現するが、今の天皇とは違う」というものでした。

 その他にも、ヒトラー、エドガー・ケーシー、ジーン・ディクソン、出口王仁三郎と、破局の予言をしている人は大勢いました。そのような時代の潮流に乗った上で、麻原は、それらの予言よりも、さらに妄想的な「自己の予言」に傾斜していったのです。

【6】弟子たち・信者の人格分析

■弟子たち・信者の人格分析

 弟子の側の人格を分析するとき、「類は友を呼ぶ」という視点からすると、麻原と同じように「誇大自己症候群」を適用できる面もあるかと思います。繰り返しますが、誇大自己症候群を含めた「人格障害」は、程度の差こそあれ、すべての人が持っている要素であり、さらに、適切に活用されれば、偉人になる、大きな業績を残す、などの良い面もあります。

 まず、どのくらいの弟子たちが、その親との関係で、誇大自己症候群の原因となるような、親の適切な愛情の施しにおいて問題があったかは未調査です。また、一般社会のケースと比較する必要もあるかもしれません。しかし、親に傷を持っている人は、結構多いように思われます。
 
 また、現代の社会は、いわゆる「父権の喪失」によって、子どもにとって、親が、先ほどの論理でいう、「理想化された親のイマーゴ」への欲求を適切に満たして、適切に解消するという健全なプロセスが実現されにくい面があります。すなわち、子どもの理想・尊敬の対象になりにくい、ということです。

 例えば、麻原の男性の一番弟子と言われた上祐代表の場合は、両親の別居が小学生時代から始まっており、父親は別の女性と暮らして上祐氏の家に帰ってこなくなり、それに悩む母親を見ながら育ち、その他、父親の経営する会社は倒産してしまいました。

 こうした中で、上祐氏は23歳頃に、超能力を身に付けてスーパーマンになりたいといった願望で、オウム神仙の会に入会し、その後、麻原の説く「解脱者になって世界を救済する」ということに共鳴し、オウムに出家しました。

 こうして、上祐氏を含めてオウムの信者は、「解脱」などの理想を求めるという意味で、非常にまじめで、努力家の側面も持っていました。実際に、オウムの中での「極厳修行」というのは、大変な苦行の側面もあり、それに耐えた(ないし耐えようとした)人たちでした。

 これも「誇大自己」の特性の一部であり、その悪い側面の裏側として、良い側面も持ち合わせています。しかし、オウムの信者の場合は、その「理想の追求」が、麻原に帰依する中で、麻原と連動して、社会の現実と矛盾した、非常に「誇大妄想的な」側面が強くなっていき、麻原とともに破滅に向かっていったのでした。

 それはともかく、上祐氏は、自分が解脱し救済者になるという理想=「誇大自己」の実現を手伝ってくれる、「理想化された親のイマーゴ」として、麻原に依存していきます。この中で、上祐氏は、麻原を、自分の頼りなかった両親に代えて「第二の親・親代わり」にした面があったと思われます。

 麻原が上祐氏の「理想化された親のイマーゴ」である、という点に関連しては、実際に、麻原の説法の中で、上祐氏は、過去世から麻原の「息子」や高弟の前生を何度も繰り返している魂である、とされていたり、今生も、「息子」のように扱われていた、という事実がありますので、わかりやすいケースです。
 
 なお、総括でも述べましたが、上祐氏については、選挙への出馬や落選の陰謀論に異議を唱えるなど、麻原の高弟でありながら、他の弟子と比較するならば、より現実的な視点を持ち、自立的な一面を有していました。麻原も、これを理解してか、説法で、(今生ではありませんが)未来のいつかの生では、自分から離れて独り立ちすると語ったことがあります。

 話を元に戻して、「麻原を、理想化された親のイマーゴとした」という点ですが、これはほとんどの弟子たちに共通した側面であったのではないか、と思われます。弟子たちは皆、「麻原に依存すること」で解脱者になる、キリストの弟子として救済者になる、という「誇大妄想的な」欲求を満たそうとしました。

 そして、多くの出家した弟子たちは、隠語として、麻原を「お父さん」と呼ぶときがありましたし、出家とは、仏教でいう、いわゆる「家を出る」という意味合いではなく、理想的ではない肉親の家族から、自分の理想を実現してくれる、頼れる「麻原の大家族に移ることだった」と思われます。

 その後、外部社会から客観的に見るならば、弟子たちは、95年以降、麻原の逮捕・勾留によって、事実上、麻原を失いました。「失った」はずでした。ところが、弟子たち・信者たちの中では、「麻原を失った」ということを自覚しない、したくない人たちが、よりいっそう麻原を「理想化」して、教団を辞めずに、続けていきました。

 これは、誇大自己症候群における「誇大自己」と「理想化された親のイマーゴ」の問題そのものです。

 先ほど、

「何か不幸な事情で、親や周囲の大人が、"理想化されたイマーゴ"としての役割を果たせず、本人の期待をひどく裏切ったり、"本人に対して支配的すぎたりする"と、本来の育むべき理想や自立心が育たないままに、"親のイマーゴ"ばかりが、過度に膨らんだものとして、本人の心の中に、居座り続けることになる」

「現実的な成熟した健全な自己愛に向かった発達が損なわれた結果として、"誇大自己"や"理想化された親のイマーゴ"が残存して支配するという考え方は、子どもや大人の"非行」"を理解する上で、非常に有効な概念だとされています」

 「"誇大自己症候群"とは、現実的な成熟した健全な自己愛・自尊心・自信の形成に失敗した場合に、それを補うために、肉体的には成長してもなお、"誇大自己"が支配的な力を持ち続ける状態といえます。」

 「誇大自己症候群では、"理想化された親のイマーゴ"の形成にもつまずいています。その結果は、過度な服従をとる場合と、強い反抗をする、という二つの形であらわれますが、いずれの場合にしろ、その根底には、"過度に理想化されたもの"としての親が強く存在し続けているのです。」

 などと述べました。

 麻原は、信者の第二の親としては、明らかに、「本人に対して支配的すぎたりする」親でした。教団の中で、麻原は、「偉大なグル」「キリスト」「マイトレーヤ」といった「絶対的な位置付け」を持ち、弟子は、麻原の弟子として、今生に限らず、来世を含めて未来永劫、一緒に転生し、麻原のお手伝いをしていく、という方向に誘導されました。

 それとは反対に、仮に、弟子が脱会するなどして、グル・麻原から離れるならば、グル・真理との縁が傷つき、地獄などの低い世界に転生する(可能性がある)という「恐怖」も植え付けられました。

 こうして、信者の第二の親としての麻原は、「本人に対して支配的すぎたりする」親でありました。そのため、弟子・信者たちは、「本来の育むべき理想や自立心が育たないまま」の状態になり、麻原という「親のイマーゴばかりが、過度に膨らんだものとして、本人の心の中に、居座り続けることになる」という状態になりました。

 これは、今現在も、私たちがひかりの輪として独立する中で、脱会したアーレフ(現在Aleph に改名)について当てはまることです。

 その中では、麻原の神格化、絶対化が続いており、「(麻原が)裁判で無罪になり、戻ってくることを祈るべきだ」「(麻原が)復活する」「(麻原は)拘置所の中からもすべてを理解してくださっている」「事件は陰謀である」、「予言は成就する」といった、まさに誇大妄想的な主張や指導が、依然として展開されているのです。


■「自己愛型社会」という視点から、弟子たちの人格を分析する

 さて、ここまでは「誇大自己症候群」という概念を用いて説明しましたが、『誇大自己症候群』(筑摩書房、2005)の著者である精神科医の岡田氏は、現代社会を「自己愛型社会」と言います。自己愛が肥大し、誇大自己が膨らんだ人たちが多い社会ということです。

 先にも書きましたように、すでに1981年に、『自己愛人間』を著した小此木啓吾氏も「自己愛社会」といっていました。こうして、心理学者は、すでに1980年の時代に自己愛社会を感じていました。だとすれば、それ以降は、もっとそれが甚だしくなっているでしょう。そして、「80年代」といえば、弟子たちが思春期のころです。とすれば、弟子の多くも自己愛の強い誇大自己を持った人たちが多くいたとしても不思議ではありません。

 そして自己愛型社会のキーワードをいくつか挙げれば、「自己存在意義への欲求」「劣等感と優越感」「依存」「被害妄想と誇大妄想」というあたりになるかと思います。他には、「自己特別視」「責任転嫁」「自己正当化」「現実回避」「自己愛的空想」もあるかと思います。

 すなわち、誰もが持っている「自己存在意義」への追求を背景として、自分と他人を比較して、「劣等感と優越感」の双方を持つ中で、自分がより偉大になるために、麻原を含めた絶対的に見える他者に安直に「依存」する、という傾向を持ち、その中で、教祖と同じように「被害妄想・誇大妄想」を発展させていった、ということです。

 まず、オウム真理教の出家者を見てきて、大まかに3つのグループに分けられると思います。

 一つは、いわゆる「エリート」と言われる人たちです。しかし、いくらエリートといえども、絶対的に自分が他より優越しているということはあり得ず、「劣等感と優越感」は背中合わせに持っていたでしょう。「卑屈・被害妄想」と「誇大妄想」を持っていたと思われますが、どちらかというと、誇大妄想優位であり、他より抜きん出ようという意識が強いと思われます。

 次は、社会の中では、なかなか生きづらいという人たちです。社会性が乏しく、不器用なるがゆえに生きづらさを感じていたり、実際にちょっと蔑んで見られ、「劣等感」を持っていた人たち。このタイプの人たちは、「卑屈・被害妄想」優位ですが、そうであるがゆえに、逆にそれを補償するものとして、隠れた「誇大妄想」も持っています。

 三つめは、平均的な人たち。と言っても、自分より上と思う人に対する劣等感と下に対する優越感をやはり持っています。この人たちは、「卑屈・被害妄想」と「誇大妄想」をほぼ均等に持っていると思われます。

 「特別な存在でありたい」「特別な存在である」という思いがあると、それと違う現実によって、劣等意識を持ちます。劣等意識と優越意識は、被害妄想 と誇大妄想を生み出し、劣等意識によって卑屈になり、卑屈になると「被害妄想・被害者意識」が生まれます。一方、優越意識は、自己を誇大視し「誇大妄想」を生み出します。

 こういった信者の心理的な傾向は、麻原の「誇大妄想・被害妄想」と共鳴したのではと思います。多くの弟子たちがそうだったのではないかと思います。

 信者が麻原に優越感情を刺激されたところとしては、「選ばれた魂」と自分を規定することで優越感が満足できた面があります。そのために、グルは「絶対」で、「キリスト」である、ということを受け入れたのです。

 その部分を受け入れれば、「キリスト」であることによって形作っていった麻原自身の妄想世界に同調していくことは当然であったように思います。自分はキリストの選ばれた弟子という思い。救世主の団体。世界を救済する団体の一員という「優越感」と「自己愛」です。
 また、「変身願望」というものも多くの弟子はもっていたように思います。「誇大自己」の人たちは、今の自分は本当の自分ではない、「仮の姿」にすぎないと思う傾向があります。

 そして、それに対して、現実の中で、現実的に自己を改善するのでなく、キリストの選ばれた弟子になることで、「世界を救済する戦士」に生まれ変わって、これこそ自分の本当の姿であると、それまでの卑屈な自分から「変身」してしまったのです。安易で安直な方法で、優越感情に浸れたわけです。「自己愛人間」は、現実でなく、「妄想」の中での自分を生きる傾向があります。

 このように、「自己愛」を満足させてくれる「妄想」を与えてくれる麻原に好感を持たないはずがありません。ですから、麻原の「キリスト(救世主)」という妄想を積極的に肯定することになったのではないでしょうか。また、そうあってほしいという願望も麻原に「投影」され、ますます「絶対化」は進んだと思います。そうすれば、自分は「キリストの弟子」というご馳走を食べることができるわけです。

 表層意識では、純粋な気持ちで麻原を「キリスト」と認めていると本人たちは思っていたと思います。しかし、潜在意識では、このように自己利益のために麻原を「キリスト」であると、積極的に受け入れていった(面もある)と思います。

 麻原は、非常に明確に、断定的に価値観を示し、問題の解決の答えを示してくれました。不安定な、不確実な時代の中で、「確実なもの」「絶対的なもの・価値観」「指針」を求めていた多くの人にとって、頼もしい「依存」できる対象だったのです。

 生きていく中で、なかなか割り切れず解決がつかないものに、全部説明をつけてくれたのです。「これですべてわかった!」というわけです。これは、すっきりして非常に心地いいものです。しかし、実際には、はっきりすっきりわかるものではありませんが、若いときは、早急に答えを欲する傾向があり、若い弟子たちには、やはり、この点でも惹きつけられるものがあったのだと思います。

 これは、言い換えれば、「依存」です。自分で苦しんで悩んで経験して答えを出すのではなく、依存して答えを与えてもらって解決するというものです。自分で思考することはなくなります。

 このように、自分にいくつもの心地よさを与えてくれる「絶対者」の指示には、喜んで従うようになり、麻原の妄想世界をともに築いていったのです。

 そして、汚辱に満ちた社会の問題点を指摘し、社会にいる自分たちにもその要素があることを認識せず、若者にありがちな正義感で、「自分たちは正しい教えを知っている」「それによって"救済"するんだ」「世の中を正すんだ」と粋がっていたのではないでしょうか。

 『滅亡の日』にも社会の問題点が挙げられていました。しかし、それは自分たちにもある要素だという認識はなく、自分たちは「善業多き清らかな魂」で、社会の多くは自分たちとは別で、「悪業多き汚れた魂」であると批判、非難していました。自分たちにもある悪しき要素を、社会にだけあるものとして「投影」していました。

【7】ひかりの輪の教え・方針

■ひかりの輪の教え・方針――「誇大自己」や「理想化された親のイマーゴ」を越えるために

 ひかりの輪のメンバーは、オウム真理教の出身者が主体ですから、自分たちが麻原とオウム真理教に帰依する中で、それぞれが相当の「誇大自己」の欲求を有し、それを満たすための「理想化された親のイマーゴ」としての麻原に帰依した、という傾向をどのように解消していくかについて、さまざまな努力をしているところです。

 まず、自分たちの現実を努めて理解するように努力しています。「理想化された親のイマーゴ」によって「誇大自己」の欲求を満たすということは、私たちの場合、麻原を絶対化し、それによって、「自分たちを絶対化」してきた、ということです。

 よって、麻原と自分の現実をよく認識することからやってきました。それが、まだアーレフを脱会する前に、アーレフの代表派(上祐派)が始めたことで、そのためのブログとして、「真実を見る」という名前のものを開設してきました。その中では、麻原とオウムの実態を直視することから始めました。

 これは、それまで麻原と自分たち自身に幻想を抱いてきた多くのメンバーにとって苦痛であったと思いますが、なんとか、それを一歩一歩乗り越えてきたということです。

 この努力は一生続けなければならないと思いますが、一つの節目として、今回の総括文書の作成の作業があります。現在、上祐代表の総括に加えて、団体としての総括文書が一通り完成し、発表されています。また、他の役員・部長・指導員の個人の総括も、一応の完成を見ました。
 
 その中で、一人一人が自分と教団の現実を直視し、その精神的問題にメスを入れるように努めました。その中では当然、麻原を絶対化することで、「自分を絶対化」しており、その背景に、気づかなかった恐るべき「プライド(誇大自己)」の存在に気づきます。

 こうして、自分の誇大自己に気付き、「理想化された親のイマーゴ」である麻原を「相対化」して、自分と麻原と教団の真実良かった部分と悪かった部分を反省し、悪かった部分を払拭し、良かった部分を継続するという方向性を目指します。

 その中で、宗教実践を行う団体として、

1人を神としない。他人を尊重して学ぶことは大切だが、絶対視して学ぶことはしない、その意味で、団体の指導者は相対的なものであり、先輩修行者・先達であって、絶対的ではない

2すべての人々・万物から、その良いところを教師として、悪いところを反面教師としてできるだけ学び、感謝して、奉仕するべきである

3大自然を尊重し、大自然との調和・融合を目指す(大自然は人間存在と不可分であり、古来は大自然に人は神仏を見ていた)

 といったような指針を形成してきました。

 まず、「人を神としない」というのは、心理学的に言えば、「理想化された親のイマーゴ」を適切に解消するためであり、それと連動する自分の「誇大自己」も和らげます。

 また、同時に、「他から学ぶことは大切だが、絶対視して学ぶことはしない」という方針を示していることも、心理学的に言えば、「誇大自己」と「理想化された親のイマーゴ」を本当の意味で解消するためです。

 というのは、「理想化された親のイマーゴ」が急激に奪われた場合に、前に述べたように、誰も尊敬できなくなり、反抗的になるケースがあるからです。誰も尊敬・尊重しないという症状は、「誇大自己」の欲求は依然として残っており、「理想化された親のイマーゴ」に対する欲求も本質的に残っているため、誇大自己の欲求を満たしてくれる人以外は、誰も尊敬・尊重しない、という形で現れると思われるからです。

 よって、本当の意味で、「誇大自己」と「理想化された親のイマーゴ」が解消されるということは、自分の「誇大自己」を満たしてくれるような理想的な存在・絶対者ではなくても、自分より優れている者からは、その人を絶対視しないで学びとる、というしなやかな精神だと思います。

 これが、オウムで言われた「グルと弟子の関係」、すなわち「絶対服従の関係」ではなく、バランスのとれた上下関係、師弟関係、先生と生徒の関係だと思います。その際、学ぶ側は、

1自分の「誇大自己」の欲求を満たしてくれなくても、他を尊敬して学ぶことという謙虚さ、
2他を絶対視して過剰に依存せず、自分の努力で幸福になる勤勉さ

を培うことになります。

 次に、「すべての人々・万物から、その良いところを教師として、悪いところを反面教師として、できるだけ学び、感謝して、奉仕する」といった実践の意味合いは、心理学的に言うならば、「誇大自己」が自分を世界の中心として、自分が一番優れている存在としたがる「傲慢な性格」を持つことに対して、万物から学んで感謝することで、それを解消しよう、ということです。

 なお、「他人の悪い部分を自己の反面教師とする」というのは、自己中心的な「誇大自己」の典型的な欲求として、自分は正しい、他人は間違っているという考え方にとかく偏りがちであり、誇大妄想だけでなく、他人が自分を害している、という「被害妄想」までも容易に形成してしまうので、それを解消するものです。

 これは、ユング心理学の「影の投影」にも通じる考えで、自分が他人に見て嫌悪する欠点は、自分の潜在的な欠点の投影であるという考えに基づくものです。このためには、他人の欠点ではなく、「自分の影=欠点」を見つめる実践、宗教的に言えば正しい意味での「ザンゲ」が有功になります。

 最後に、「大自然と調和・融合した意識を培う」ということは、自己中心的な「誇大自己」の背景として、そもそもが、現代の都市化された文明の中で、人間が、自分があたかも地球の王・支配者であるかのように振る舞い、自分たちの中での競争・奪い合いに明け暮れていることがある、という認識に基づいています。

 要するに、誇大自己という「個人傲慢」は、個人の産物ではなく、現代の傲慢な人類社会の産物ではないか、という見方です。その傲慢で無智な文明は、今や、食料・水などの資源・エネルギー・環境・経済といったさまざまな問題で破局さえも迎えかねない、危機的な状況になりつつあります。

 最後に、「大自然の尊重とそれとの調和・融合」については、別の機会に詳しく述べたいと思います。

■現代の「自己愛型社会」に対する今後の奉仕について

 現代社会において、「自己愛が強まっている」と言われます。

 これは、人格的特質として、麻原と同質なものを持っている人たちが増えているということになります。もちろん、教祖であった麻原だけでなく、弟子たちにもその特質はあったと思います。

 また、当然のこととして、同じ自己愛傾向であったとしても、その強弱や、現れ方には、個人差があって、同じ「自己愛」を原因として、表面的には、まったく反対の現れ方をする場合も多々あります。

 そして、宗教や、今流行っている「スピリチュアル」といわれる世界では、空想的・妄想的な傾向が見られるのではないかと思います。「自己愛」が強い人は、現実の苦痛から逃げて、自己の幻想の中で生きていることが多いと言われています。例えば、苦しいときに、安易に占いに頼り、星による運気が変わると問題が解決するだろうと妄想するのもこの一例かもしれません。

 自己愛が強い人が多い「自己愛型社会」なら、スピリチュアルにはまっていく人たちにも自己愛が肥大化した人が多いと思われます。現実の中に生きづらさを感じて、妄想の世界で安らごうということで、スピリチュアルにはまっている人たちは多いのではと思います。

 そして、ひかりの輪としては、多くの人が、できるだけ妄想を廃し、現実をありのままに見ることができる方向にお役にたてればと思います。

 特に、ものの受け取り方、認識の仕方には、気づかないうちに「妄想」が入り込みやすく、それによって日常生活で苦しんでいる方が多い、と思われます。特に、うつ、落ち込みやすい人や不安が多い人には、そういう人が多く、「妄想」とはいえ、本人が思い込んでいる場合は、なかなか妄想とは認識できません。

 このあたりのことは、今後の私たちの活動の中で、お役にたてるものを提供していきたいと思っています。

【8】付録

付録1.「自己愛」と「影」の関係

 どんな人でも「自己愛」はあるのですが、それが強くなりすぎる場合、問題が生じます。
人間には、自分のいいところばかり見て、自分に苦しみを感じさせたり、みじめな思いをさせるものは見たくないという心理があります。この傾向は、自己愛が強い人ほど強くなります。

 自己愛の強い人は、自分の妄想世界で生きることが多く、現実の自分の嫌な部分を見ないように防衛機制が過度に肥大しています。「自己愛幻想」に浸って、苦痛な現実との出合いを回避します。つまり、「影」を形成しやすいということです。影を形成しやすいということは、嫌な部分、悪い部分は他人に投影して、「他人のせいにする」ということです。

 この総括においては、「影の投影」の危険性を述べていますから、おわかりと思いますが、現代人が影を形成しやすいということは、危険なことなのです。現代の日本社会が、「幻想的自己愛型社会」になっていて、醜いもの、汚いもの、苦痛なこと、悲しいこと、恐ろしいことなど、負の世界を隔離、排除している社会です。

 死、病、老いを施設の中に隔離している事実がそれを顕著に表しています。きれいな自分を意識できるところで暮らしていきたいという社会です。これは、危険です。

 実際、危険な事件が発生しています。今もまだ、ときおり続いています。それは、路上生活者に対する蔑視や殺害です。「魔女狩り」ならぬ「浮浪者狩り」です。

 1982年~83年にかけて起こった横浜での浮浪者襲撃殺人事件が世間に騒がれた最初の事件でした(小此木啓吾氏の『自己愛人間』が出版されたのが1981年です。小此木氏の社会に対する洞察は鋭かったといえます)。

 中学生を含む少年グループによる事件でした。汚いもの、臭いものに対する嫌悪です。この事件の少し前から、横浜市では行政をあげて街の美化作りを促進していました。これは、汚いもの・こと=悪だという論理です。「汚いものを排除する」という動きは、子供たちに影響を与えていました。

 「きれいなことはいいことだ」。一見これは、当たり前でまともに聞こえますが、行き過ぎて「排除の理論」になってしまう可能性があります。この一例からも、自分の中の暗部を見つめていくことの重要性を訴えることはとても大切なことだとわかると思います。

 先進国に生きる私たちにとって、途上国の飢えや貧困に目を向けるのは嫌なことです。自分たちの繁栄は途上国の犠牲の上に成り立っていることを認識しなければならないからです。

 ですから、見ないように覆い隠して自分の生活を楽しんでいます。しかし、先ほどから何度も言っているように、それは危険なことです。いつか必ず私たちは自分たちの暗部を見ないことによる「しっぺ返し」を食らうことになるからです。「影」の反撃です。

 自分の今の境遇を他のせいにする人たちが増えています(自己愛社会)。そして、それが積もり積もって、誰も彼もが自分をおとしめる、という被害妄想を抱いてしまったら、それに対する「反撃」をします。

 それは、その人の反撃ではありません。表面はその人が周囲に反撃しているのですが、本当の反撃者は「影」です。「影」に反撃されているのはその当人です。それは、当人の破滅でしかありません。最近の秋葉原の事件など、まさにそうでしょう。悲しいことです。

 話が、総括からそれてしまいましたが、これはとても重要なことです。このようなユング心理学の「影の理論」から自分を知ることを通して、悟りに向かう仏教の教えにまで発展させ、現代社会や現代人の問題を解き明かし、解決の糸口を見つけていくことを今後はやっていきたいと思っています。

 それが、オウムに所属していた自分たちの贖罪のひとつの方法だと思っています。総括は、その手始めです。


付録2.「現代人の宗教性」――河合隼雄氏の視点

前にも引用しましたが、河合隼雄氏はその著作集の中で、
「東洋の宗教や哲学においては、「真の自己」という考え方がある。これは私流に言えば、日常意識ではなく、深層意識によって把握された自分ということになろうが、それを到達可能な一点として理解し、それを完成した個人の存在を安易に設定すると問題が生じてくるように思う。それが到達可能と思うことによって、それに至る「段階」が考えられ、それが日常意識と結びつくと、宗教的世界にまったく日常的な階級が出現してきたりする、あるいは、極めて強力な「最高位」の人間が出てきたりもする。
ここで問題をますます難しくするのは、その「最高位」の人は絶対に正しいということになり、議論が不可能となる点にある。中心としての「自己』イメージを実存する人間や組織に投影すると、人間は「文句なし」に何かに盲従してしまうことになる。日本人は戦争中にそのようなことを経験したにもかかわらず、現在でもまだまだその傾向を保持しているのではないだろうか。」

(『河合隼雄著作集 (11)』岩波書店、1994、「現代人の宗教性」)
 と書いています。

 これは、まるで、オウムのことを言っているようですが、出版は1994年です。地下鉄サリン事件より前です。

 この文章の前では、1980年代、日本においてもトランスパーソナル心理学が入ってきたことに対して、「うさんくささ」を感じていること。それは、例えば、ユングのいう共時性をオカルト的思考で解釈してしまう人たちもいるということに対して、「宗教と科学」という観点から危惧を感じていて、トランスパーソナル心理学についても慎重に対処する必要性を書いています。トランスパーソナル心理学にも価値を認めているからむげに否定していない。そういう文脈の中での上記の記述です。

 それが、オウムにも、大日本帝国にも当てはまるのです。『現代人の宗教性』と題して書かれた文章なので、今の「スピリチュアル・ブーム」にも十分当てはまると思います。

 私たちの中の何が、大日本帝国を生み、オウムを生み、また、「スピリチュアル・ブーム」を生み出しているのか? そして、その危険性を探っていかなければいけないと思います。

 今回、このような総括を行いましたが、さらに、歴史、文化、日本人の特性、現代社会の分析をふまえたうえで、(社会)心理学的観点から考察していくことをしなければならないと考えています。


付録3. 参考書籍『麻原彰晃の誕生』からの抜粋


 高山文彦『麻原彰晃の誕生』(文藝春秋、2006)
■p.16
「この写真を見ていただければ、智津夫君がどんな子だったか、そしてどんな環境に育ったのかわかっていただけると思って。いまさらこんなことを言っても仕方のないことですけど、智津夫君のさびしさをわかってやることができていたらと思うんです」

■p.19
まだテレビ放送が白黒しかなかった時代、智津夫が好んで見たのは「エイトマン」や「あんみつ姫」だった。兄たちがチャンネルを変えようとしても、智津夫はチャンネルを握ったままけっして変えさせようとしなかった。

■p.21
智津夫は生まれながらに、左目がほとんど見えなかった。右目は1.0近くの視力があったが、先天性緑内障と視野狭窄症の兆候が認められた。
(中略)
麻原被告はまた、幼いころから自尊心が高く、自分がすでに習得していることを改めて学校で習わされると、露骨にいやがった。
(中略)
父親や長兄たちは、麻原被告に、読み書きや算数など生活に必要な教育はすでに授けてあった。
少年時代の麻原被告は、ほかの子供より早熟で、特に算数などの能力は、珠算1級の長兄の目から見ても、ずば抜けたものがあったという。
「とにかく頭は子供の頃からよかった。簡単な足し算くらいなら3歳ごろからできたし、もの覚えも早かった。」

■p.22
智津夫より十一歳年上の長兄と父親は、家のすぐ近くにある金剛小学校に行かせようと考えていた。運動能力もふつうの子供以上に発達しているし、盲学校に入学させるつもりはなかった。
1961年4月、智津夫は金剛小学校に入学した。それが熊本県立盲学校へと転校することになったのは、智津夫の将来を案じた長兄が、いやがる智津夫をねじ伏せて連れていったからだという。長兄もこのとき、盲学校に通っていたのだ。

■p.23
国からは就学奨励金という補助があたえられ、貧しい家庭には寄宿舎での食費は免除される。両親も長兄も、それが自分たちの家に適用されることを知っていた。
幼い智津夫は、父親や長兄から盲学校へ行こうと告げられたとき、
「いやだ、いやだ。いまの学校に行く」
と泣き叫んだ。
智津夫と同じ目の病をもつ長兄の両目は、成長するにつれて見えなくなってゆき、やがて全盲になった。智津夫もゆくゆくは自分と同じようになると考えた兄は、将来の生計のためにせめて鍼灸の技術を身につけさせようと考えたのである。
けれども智津夫から見たとき、盲学校への転校の事情はかなりちがってくる。のちに「彰晃」という名をさずけてもらうことになる社団法人「社会総合解析協会」会長の西山祥雲に、27歳の智津夫は赤裸々にそのころのことを打ち明けている。

■p.24
「その子が泣いて帰って、親を連れてきたんです。親父はその子と親のいるまえで、私をぶん殴りましたよ。人まえで殴られたことが、悔しくてたまりませんでした。おふくろは、恥ずかしくてもう表を歩けん、と叫ぶし、親父は親父で、こいつ捨ててしまおうか、いや捨てるわけにはいかんだろうからどっかにあずけようか、と怒鳴っていました。兄は私より、もっと目が悪いんです。兄が盲学校に行くのはわかります。どうして目の見える私を盲学校にいれなきゃならないんですか。私は親に捨てられたんですよ」
親への恨みつらみを述べたてながら、最後には涙を浮かべていた。
幼児期に刻印された傷は、大人になっても消えるどころか増幅されていったようだ。自分のしでかしたことについては蓋をしたまま、傷つけられた悔しさばかりが智津夫の胸を蝕んでいる。
智津夫が西山祥雲に話したことは、それだけではない。
「スイカなんか盗んでいないのに、親父は私をスイカ泥棒だと決めつけたことがありました。おまえがやったんだと言われて、こてんぱんに殴られたあげく、もうおまえはこの家には置いとけん、どこかにあずけるしかないと言われたんです。そうやって私を家から追い出す理由を、親父はつくっていったんですよ」
智津夫の話の内容が事実なのかどうか、そのまま信じるわけにはいかないが、ひとつだけはっきり言えることは、幼くして親に捨てられたという意識を強く懐いたということである。

■p.28
休みの日になると遠方から親たちがやって来て、寄宿舎生活をしているわが子を抱きかかえるようにして家に連れて帰り、愛情を降りそそいだ。季節の変わりめには、新しい服を買って届けに来た。
「そんななかで智津夫君のところだけは、休みの日になっても両親が迎えに来るようなことはありませんでした。智津夫君は休みの日には、たったひとり寄宿舎にとりのこされるわけです。ほかの同級生たちは親が服を買ってきてくれるのに、智津夫君にはそれもありませんでした。私たちが上級生の親御さんに了解を得たうえで、おさがりをもらって着させていたんです。」
当時、智津夫の担任をつとめた元教師は、そう語る。
智津夫には規定どおりに就学奨励金が下り、寄宿舎の食費も免除された。智津夫の両親はその就学奨励金を、家のほうに送ってほしいと学校側に頼んできた。
「これは子供さんの将来のために貯えておくお金なんですよ」
学校側はそう言って断わった。
智津夫の親は、就学奨励金を自分たちの生活費の一部に充てようとしたのである。六歳の智津夫は、いわば口減らしのために、この盲学校に出されたのではなかったのか。
このことについては、のちに智津夫自身も、
「私の親は、国から下りる就学奨励金を自分たちのために使おうと、私からかすめとったんですよ」
と西山祥雲に打ち明けている。
「かすめとった」というのは事実ではないようだが、親にたいする智津夫の思いは、それほどまでにねじくれていたということだ。

■p.32
ただひとり、慕うというよりも、親代わりのような立場で彼の上に君臨していたのは、専攻科にいる長兄である。智津夫は長兄には絶対服従で、言うことはすべて聞いた。
「智津夫、智津夫」
全盲の長兄はたびたび弟を呼びつけては、手を引かせ、街に連れ出させた。目の見えない長兄にとって、智津夫は使い勝手のいい存在だった。自分の手足のように智津夫を使った。
「長兄はしょっちゅう喧嘩をしたり、煙草を吸ったりして、謹慎処分をくらっとんたんです。智津夫のことでは一度もなかったけど、この兄貴のことでは何度か八代の実家まで行きました。」
と当時、生活指導にあたっていた元教師は複雑な表情で語る。ふたりを知る別の元教師も、
「気性のはげしさは、智津夫以上でした。目の見えている生徒にも、しゃにむに喧嘩を挑んでいった。大言壮語の癖があって、どうやったら金が儲かるかという話をよくしていました」
と話す。

■p.33
「盲学校の生徒には、大なり小なり社会にたいする憤りや、被害者意識、劣等感があるんです。しかし、ふつうの生徒はそんなことなど口に出さずに、社会に協力していこうという気持ちをもっていた。ところが、智津夫には、それがないんです。自分のために、まわりを利用しようという意識ばかりがあった。社会の常識は、自分の敵だと思うとった。そして長兄にくらべて智津夫には、人の上に立ちたいという名誉欲が人一倍強くありました」
同様の話は、複数の元教師や現職の教師からも聞いた。

■p.39
人徳がない。十歳のとき、身に沁みてそう思ったはずの智津夫は、どうしてそれから地道な努力を積み重ねていこうとしなかったのか。
盲学校という閉ざされた世界のなかの智津夫の悲しみは、「目が見える」ということだったのではないか。
別の見方をするなら、生徒たちが智津夫に支配されつづけたのは、暴力や論理によるものだけでなく、目が見えないということが大きな原因となっていた。
生徒たちは成長していくうちに、閉ざされた寄宿舎生活からのいっときの開放感と好奇心を満たすために、街へくりだしていこうと思うようになる。そのとき彼らは、目の見える智津夫に頼るしか手立てがない。
見返りとして彼らは、智津夫に食事をごちそうした。やがてそれは慣例となって、智津夫は彼らを引き連れて熊本の繁華街に出かけてゆき、それ以上のことを強いるようになった。
窃盗である。これを盗め、と命令して、盗みをさせるのだ。
それでも屈強な智津夫は、街なかを歩く彼らにとって、不安をとりのぞく大切な支えであった。智津夫にとってそんな彼らは、いつでも容易に服従させることのできる存在であった。地道な努力をするより、網を打てば一瞬にして帝国が生まれた。
オウム真理教をつくってからは、智津夫は自分のハンディキャップを逆に利用した。とりわけ後期の信者たちの多くは、
「尊師は目が見えなくても、超能力で見えている」
と真面目に信じていた。

■p.43
「智津夫は高等部に上がったころから、やることが狡猾に、陰湿になっていったんです。
われわれの目の届かないところでね。そして発覚したら、居直りを決めこむ。担任ではどうにもならんときは、生活指導の教師や古手の私などが面接室に連れていくわけです。そうすると、さっきの勢いはなんだったのかと思うほど、卑屈な態度に変わるんですね。もう言わんでください、と懇願するようになる。さらに突っ込まれると、最後は泣くんです。激しやすい反面、非常にもろいところがあった。しかし、実際には、まったくこちらの気持ちは届いていないんです。反省するということがない。智津夫にあるのは自我だけです。自我に敵対するものは徹底的に排除するかわり、自我のなかに無条件に飛びこんでくるものは、自分のほうから受けいれていったんじゃないでしょうか」

■p.45
「先生、おれは熊大の医学部を受験する。将来は医者になる」
智津夫がそう言いだしたのは選挙に落選してからである。担任教師はおどろいたが、智津夫が学校中に吹きまくっていることを知って、またはじまったか、と言葉を失った。智津夫の成績は盲学校のなかで良くもなく悪くもない程度で、どう考えても熊本大学医学部に合格するような学力などもちあわせていなかった。
医学部受験の話を聞かされたところで、担任やほかの教師は、
「そりゃ医学部を受けるなら、勉強せにゃいかんたい」
と言うだけで、だれも取り合おうとしない。彼らは、智津夫がそのようなことをふれまわるのは、ただの見栄にすぎないと思っていた。

■p.48
智津夫は卒業をひかえて、自分の進路についてもふれまわった。
「東大法学部を受験するために、東京の予備校へ行く」
熊大医学部よりもさらに難関の東大法学部に、グレードを上げたのだ。そして何人かの生徒に、
「おれは東大法学部を出て、政治家になってみせる。ゆくゆくは総理大臣になってやるけんな」
と吠えた。
 (中略)
「ながい教師生活のなかで、智津夫よりも行動面ではすごい連中は何人もいましたよ。指導していくと、こちらの気持ちが確実に伝わっているという実感がありました。しかし、智津夫にはそれがないんです。」

■p.55
押さえつけられていたものが爆発したのか、八代の実家にもどって2ヶ月後の1976年7月20日、智津夫は傷害事件を引き起こしている。かつて長兄が雇っていた従業員が、智津夫の目のまえで兄を侮辱したのに怒り、頭部を殴りつけ、怪我を負わせたのだ。智津夫は逮捕され、9月6日、八代簡易裁判所で、15000円の罰金判決を受けた。

■p.57
「Aさんが東京に来るときには、羽田まで迎えに行ったもんです。じつの親以上に私の親だと思っている人です」
Aは糖尿病を得て、ながい入院生活を強いられていた。智津夫は見舞いに行き、枕もとで涙を流した。
「おまえ、これからどうするんだ」
とAに問われた智津夫は、
「政治家になります」
と洟をすすりあげながらこたえたという。

■p.73
 智津夫は、しかし、墓穴を掘った。1980年7月、知り合いの医師から白紙の処方箋を手にいれておこなった保険料の不正請求が発覚し、670万円の返還を求められたのである。

■p.87
「松本智津夫は、健常者とおなじようには生きていけなかった。上昇志向があっても、ふつうのことをしていては上にはあがれない。そして、なにかはじめると、かならず権威や権力というものが立ちはだかってくる。そうすると彼はいままでやってきたことをやめ、そこに別のものをつなぎあわせて、独自の新しいものをつくろうとする。そんななかで、どうすれば人が動くかもわかってくる。金はそのための手段として重要なものだったわけです。人を見るとき、この人物は自分より上か下かという考え方をする。嗅ぎわけるんですね。上だと判断した人物にはすがろうとする。そして、自分のエキスになる話だけを記憶していくんですね。血も涙も流したことのない人間には、あんたらにわかってたまるかという敵意のようなものを懐いている。ですから、薬事法違反がどうやっても回避できないことを知ると、彼は私にすがってきたわけです」

■p.102
智津夫の態度が豹変したのは、西山があるマジックをして見せたときである。食卓にあった箸を右手にとり、ぎゅっと絞るようにすると、手のなかから砂がこぼれ落ちてきた。
「どうやったんですか」
智津夫は西山の手のひらや袖口、懐などを探しまわった。どこにも砂を仕込んだ形跡はない。
「西山先生は日本人ですか。人間ですか。それとも、宇宙人ですか。それをやれば、ほんとうの神様だと思って、みんな飛びついてきますよ。先生、私にも教えてくださいよ」
「いまの君に教えたら、えらいことになる。これは単なるマジックだよ。それを宗教に利用しようというなら、君と私の考えは合わない。ここから出ていってくれ」
ところが、それ以来、智津夫はいままで以上に熱心に通ってくるようになった。ことあるたびに、マジックを教えてほしいとせがんでくる。

■p.103
 なにをめざしているのだという西山の問いに、政治家になろうと思っています、と悠然とこたえる智津夫だった。
「政治家になるといったって、君はいくら金をもってるんだ」
「そうですねぇ......家には5、60万しかありません」
金もなければ力もない。君には政治家は無理だよ。金がなくてもなれるのは、宗教家だよ。悩みがあったり、どうにもならない気の弱い人間ばっかりが宗教には集まってくるんだから、そいつらを魚釣りのように釣ればいいじゃないか。君が政治家になるということは、川で鯨を釣るに等しい。君のような人間は、弱い人間を相手にしたほうがいい」
そのとき智津夫の目が光ったように見えた。鞄からとりだした大学ノートに、西山の言葉をメモしていった。目が不自由だからだろうか、西山がノートをとりあげて見ると、ミミズの這ったような大きな文字がならび、ところどころ文字の上に新しい文字が重なっている。

■p.106
 智津夫は泣きだした。その姿を見て、怒る気持ちも失せた。
最後のはなむけに、西山はアドルフ・ヒトラーのナチス党がどのようにして台頭していったのかを教えた。さらに詭弁術を身につけろ、と教えた。
「たとえば政治家が公約をいつまでたっても遂行できず、国会で追及を受けるとする。そのとき、どうするか。政治家は、この件は将来の国家のため大事なことだから軽率に結論は出せない、と答弁する。そうなると、質問したほうが軽率だということになってくる。
詭弁術とは、そういうもんだよ」
智津夫は大学ノートにメモしていった。
西山は最後に、念を押すように訊いた。
「彰晃という名前でいいのか」
「ありがたいです。私には親はないと思ってますし、智津夫という名前も親からつけてもらったとは思ってません。彰晃という名前を、一生もっていきます」
「そこまで決心してるんだったら、その名前をあの世までもっていけ。そのかわり、もうここへ来るのはよせ。おまえはふつうの男じゃない。考えがちがうんだよ」
「どこがでしょうか」
「考えがちがうと言ったら、ちがうんだよ。今後いっさい、おれのところに弟子入りしていたなどと口外するなよ。ひとことでもしゃべったときには、おまえはおシャカになるぞ。絶対に承知せんぞ。そのことだけは、ようくおぼえておけ」
 智津夫はふたたび泣きだしていた。親指を内側へいれて握りしめた両手の拳が、ぶるぶるとふるえている。そして嗚咽を引き裂くように声を絞りだして言った。
「私は矛盾のなかで生まれ、矛盾のなかで育ってきたような男です。これからも私は、矛盾という雲の上を、矛盾という橇で滑っていくしかないと思っています。私はどうなってもいい。まちがっているかもしれませんが、それでも私はいいです」

■p.108
その後、一度だけ電話がかかってきたことがある。
「先生、智津夫ですけど」
松本と言わずに、智津夫と言う馴れなれしさに、何も変わっていないな、と西山は思った。
「渋谷に宗教団体をつくりました」
智津夫はそれだけ言うと、電話を切った。
はじめ智津夫が渋谷区桜丘のマンション5階につくったのは、「鳳凰慶林館」という学習塾で、西山のもとを去って数ヶ月のちの1983年夏のことである。9月生募集のチラシがある。
〈君の成績がグングン伸びる!! /驚異の能力開発法〉
〈着実な成果 東大合格〉
まだ実績もあげていないのに、あいかわらず誇大な見出しが躍っている。
注目すべきは、指導内容だ。
〈サイコロジー(心理学)・カイロプラクティック理論・東洋医学理論・ヨーガ理論・仙道理論・漢方理論を応用した食療法(これらを統合した能力開発指導を行います)〉
なんのことはない、智津夫がはじめたのは、学習塾というより、これまで培ってきた修行の成果をほどこす道場なのだ。
そして主宰者である智津夫はこのチラシのなかで、はじめて自分の名前を「麻原彰晃」として掲げている。

■p.126
折しもこの時期、日本はオカルトブームの全盛期を迎えていた。その中でも『ムー』と『トワイライトゾーン』の2誌は、若者向けの2大メディアであった。当時、オカルト雑誌で多くの自称超能力者たちに取材し、記事を書いていたフリーランスライターは、つぎのようにふり返る。
「当時のオカルト雑誌の読者の多くは、お金を汚いものとみなす人びとや、なにかを馬鹿にしたい人びと、あるいは、ちょっとした〝拾い物〟があるとすぐ飛びつく人びとだったと言うことができます。拾い物......超科学や神秘の匂いがするものは、やがて彼らのなかで"宇宙の神秘を解く鍵""ものすごい真実"に変化するんですね。そしてこの拾い物を見つけた彼らは、その行法を実践し、超能力開発グッズを買っては試し、さらにはいろいろな宗教に浸かっては出る宗教マニアや、能力開発セミナーマニアになっていくんです。でも、たいていはすぐに飽きてしまう。なぜなら、それによって幸運がころがりこんだり、病気が治ったりはけっしてしないからです。そして彼らは別の拾い物がないかと、オカルト雑誌をめくるわけです。私はそんな彼らに、いまの時代に似合わないほどの生真面目さや几帳面さを感じていました。純粋で従順、でも地に足がついていない。彼らはなにかが足りず、なにかを求め、そしてなにかを失い、自分の中になにかをつくれないでいた」

<参考文献>
(順不同)

河合隼雄『影の現象学』思索社、1976
芝健介『ホロコースト』中公新書、2008
大澤武雄『ヒトラーとユダヤ人』講談社現代新書、1995
エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』東京創元社、1951
川尻徹『滅亡のシナリオ』クレスト選書、1995
井上静『アニメジェネレーション』社会批評社、2004
伊丹万作『新装版 伊丹万作全集1』筑摩書房、1973
保阪正康『敗戦前後の日本人』朝日文庫、1989
岡田尊司『誇大自己症候群』ちくま新書、2005
小此木啓吾『自己愛人間』ちくま学芸文庫、1992
高山文彦『麻原彰晃の誕生』文春新書、2006
武野俊弥『嘘を生きる人 妄想を生きる人』新曜社、2005
河合隼雄『河合隼雄著作集 (11)』岩波書店、1994
降幡賢一『オウム裁判と日本人』平凡社新書、2000

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